点火針試作ピストル

http://www.schmids-zuendnadelseite.de/versuchspistole.html

●メーカー:不明
●作られた時代:1856年頃
●後装銃:針点火、銃床内に組み込まれた回転シリンダー閉鎖機構

(頑住吉注:原ページにはここに、このピストルの左面から見た全体像の画像があります)

 私の所有物の中には点火針ピストルの特殊モデルの模造品がある。オリジナルはKoblenz所在の防衛技術研究コレクションの中にある。

(頑住吉注:原ページにはここに、Koblenzで展示されているオリジナルの、機関部を開いた状態の画像があります。)

 このピストルに関しオリジナルでは次のテクニカルデータを書き留めるべきである。

口径:13.3mm
銃身長:183mm
全長:379mm
重量:1350g

 Koblenzに展示されているオリジナルの横にある説明文によれば、これは明らかに既存の騎兵用ピストルの在庫を再利用して近代化するさらなる試みであった。ベースとなったのはパーカッションピストルで、この中にドライゼシステムにならった点火針回転閉鎖機構が組み込まれ、この閉鎖機構は銃床に固定されている。操作者は銃床を40度右にひねることによってシステムをロック解除し、その後閉鎖機構を後方に引く。これによりチャンバーが紙弾薬の導入のため開放される。後退運動の際に一緒に動かされる目的で、操作者がレバーをくぼみ内に押し込むことによってあらかじめ点火針はロックされる。

(頑住吉注:原ページにはここにレプリカの機関部を開いた状態の画像があります)

 前方への押し動かし、そして引き続いての左方向への回転によってシステムは再び閉鎖される。次に小レバーが前方に押され、左に動かしてロックされる。これにより点火針はコックされ、ピストルは発射準備状態となる。

(頑住吉注:原ページにはここに真上から見たレプリカの画像があります)

 この経過全体の進行はいくらかスムーズさを欠き、それだけでなくいくらかの練習を必要とする。そればかりかこの試作ピストルにはセーフティ設備が全くない。残念ながら参考文献の中の言及あるいは開発思想や開発史を示す記録は全く存在しない。既存のピストルを時代の最高レベルにする試みが行われたのかも知れない。しかしこのピストルがその複雑さのためテスト委員会において大きな賛同を獲得しなかったであろうことは想像に難くない。今日までこの銃のさらなる他の実物が見つかっていないという事実もそれを示している。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです)銃床が閉鎖機構ケースから引き抜かれている。このためには操作者はトリガーを引き、その後点火針閉鎖機構をロック解除し、後方に引く必要がある。


 この銃がどこで作られたのかには言及されていませんが、トーンとしてはプロシアではないかと思われます。ただしドライゼによるものではないのではないでしょうか。ドイツでは1879年に黒色火薬仕様センターファイア金属弾薬を使用するいわゆるライヒスリボルバーが採用されるまで単発のパーカッションピストルが軍用として主に用いられ、パーカッション、リムファイア、ピンファイア等の形式のリボルバーが広く使われたことはありませんでした。このピストルは既存のパーカッションピストルを可能な範囲で近代化する試みだったようです。しかしこれが仮に成功してもコルト等のパーカッションリボルバーに勝るものになるとはとうてい思えません。まあ続けて7発以上撃てと言われれば、あるいはある時点でこのピストルの方が発射速度が早くなったかも知れませんが。何故アメリカでは広く使われ、ドイツにも知られていたパーカッションリボルバーが使われなかったのかは不明ですが、おそらくハンドガンという兵器の軍事的な重要度が低かったためでしょう。

 このピストルはグリップにボルトが固定され、これをひねって引くことでチャンバーが開放されるというシステムでした。



 ドライゼの点火針小銃ではボルトハンドルの基部がロッキングラグの役割を果たしますが、このピストルの場合グリップ自体がボルトハンドルの役割を果たすので独立したボルトハンドルはありません。しかし仕組みとしてはほとんど同じで、ボルトハンドルの基部にあたる赤い矢印で示した突起が青の矢印で示した切り欠きに入ることでロックが行われます。

 

 コッキングの仕組みに関してはいまいち不明な部分が残りますが、おそらくこういうことではないかと思います。左の画像のようにボルトをグリップごと後方に引き抜き、再び挿入すると点火針はシアにひっかかり、後退した位置に停止します。しかしまだスプリングに押されてはいません。この後でボルトハンドルに似た小さなレバーを前進させ、左に倒すと緑の矢印で示した切り欠きに入って停止します。この部品の前部がスプリングを前に押すことで点火針にテンションがかかるわけです。ちなみにドイツ語の銃器に関する文では「spannnen」という単語が多用されます。普通「コックする」と訳すんですが、直訳すれば「緊張状態にする」という感じで、スプリングが圧縮されることなども指します。例えばこの場合点火針がシアにかかって後退状態にあってもスプリングのテンションがかかっていなければ「spannnen」された(過去分詞gespannt)にはならないわけです。

 この銃は騎兵用ピストルを改造したものであり、たぶん改造が成功したら騎兵に使わせるつもりだったんでしょう。しかし前後に分離してしまうこの銃を保持しながら紙弾薬を取り出してチャンバーに入れる作業は馬上では非常にやりにくそうです。

 ちなみに点火針ハンドガンと言えば多くの人は他の銃を思い出すのではないでしょうか。

http://antiquefirearms.de/?id=2&ant=674&kt=1

 これはアンティークガンの販売業者のページで、在庫がなくなると消されてしまう可能性が高いんで小さなサイズで転載します。



 説明文の内容は次の通りです。

ドライゼ点火針リボルバーM1850 口径9mm

 点火針の発明者であるニコラウス フォン ドライゼの息子フランツ フォン ドライゼによるこの点火針リボルバーは左サイドにシリアルナンバー4983を持つ。フレームブリッジ(頑住吉注:シリンダーの上を通っている部分)の刻印は「v. Dreyse Sommerda」で、これは1860年頃の製造を推測させる。フレーム右サイドには口径の表示「CAL. 10,35 - 12 GRAN PULV」がある。この銃には簡単なエングレーブが施されており、少なくとも50%のブルーイングが残る卓越したコンディションである(頑住吉注:この後参照すべき文献等が挙げられていますが省略します)。」

 このリボルバーは時々洋書などで見ますし、シリアルナンバーから見て少なくとも5000挺、モデル名とこの銃が製造されたと見られる時代から見て少なくとも10年以上製造されたと思われます。価格は日本円にして約79万円で、珍品ではあるものの極端にレアなものではないようです。ただ1年あたり約500挺の生産数は多いとは言えず、生産が続けられた以上極端な失敗作ではなかったものの成功作とも言いにくい程度だったと思われます。例えば同時代のコルトM1950あたりと比較して実用性はどうだったんでしょうか。7発以上発射する際の発射速度はこのリボルバーの方が勝ったでしょうが、もし総合的にコルト以上の実力だったならもっとメジャーになったはずだと思われます。


 









戻るボタン