実銃について

 まず、「日本帝国の拳銃  再考」(Japanese Military Cartridge Handguns 1893−1945)による、九四式拳銃に関する記述の要約をお読みいただきたい。


ザ・タイプ94 

 その普通でない外観と劣った設計のため、九四式はこれまでしばしば奇怪だの変だのといったそしりを受けてきた。この銃に関する記述を行う際、その欠点を指摘しない著者はほとんどいない。これまで、「分解に両手だけでは足りない」「グリップデザインが悪く、普通の手には小さすぎる」「自殺用ピストル」などと言われた。最後のはシアバーが露出し、先端を約2mm押し込むと暴発するからだが、実際には言われるほど簡単には起こらないし、通常の使用でこれが起こることはきわめて考えにくい。また、セーフティをかけた九四式は、他の銃をロードし、コックし、セーフティをオフにした状態より安全である。

 九四式は南部麒次郎が陸軍から引退し、南部銃製造所を設立した後に設計したものだ。1934年の早い時期、彼が国分寺にある彼の東京工場で十四年式の生産を開始した直後、陸軍は南部に大量生産が可能で、8mm弾薬を使用するより小型の拳銃の設計を依頼した。陸軍は日本独自設計の、8mm弾薬が使え、十四年式の代用となる、より小型のピストルの必要を感じていた。十四年式は当時唯一生産中の軍制式拳銃だったが、より小型の拳銃は陸軍パイロットには特に必要だったし、その他特殊任務の兵にも必要だった。戦車兵、落下傘兵にも最適と考えられたはずだ。
 南部の自伝によれば、陸軍がこうしたものを求めるのにはいくつかの理由があったという。将校用拳銃の必要は「支那事変」のためきわめて大きくなった。しかし、十四年式は将校用としては重すぎたし、二十六年式は旧式すぎた。それに加え、.32ACPを使用するアメリカ、ヨーロッパ製は自衛目的にのみ適しており、戦闘用としては効果が薄く、しかも弾薬の入手が困難だった。新しいデザインは既存の銃に対する主に寸法と重量への不満を解消し、しかも公用拳銃弾が使えることが求められた。マガジンセーフティも必須とされた。日本軍人の間には、セミオートマチックピストルからマガジンを抜けば弾は全くない状態になるという誤解が明らかに広まっており、クリーニング時に暴発させてしまう事故が多く、深刻な問題となっていた。なぜこの問題の解決のために銃の構造変更ではなく兵の教育によって対処しなかったのかはある意味文化の問題で、著者には答えが出せない。十四年式で重大問題化した経験から、新ピストルにマガジンセーフティが必要であるという要求は強かった。
 南部は軍から要求を受ける前、原型となる銃をすでに試作しており、これを元にして九四式を開発した。このため九四式に関する最初のパテントは1930年すでに取得されている。いくつかのデザインが試みられ、捨て去られた後、最終的な試作品がテストされ、1934年の遅い時期、陸軍に制式採用された。名称は皇紀2594年からきている。十四年式と違い、海軍に採用されたという記録はなく、海軍の刻印が入った銃も見つかっていない。海軍パイロットが所持していた実例があるが、これは個人的に購入したものと考えられる。
 採用されると陸軍はただちに南部銃製造所に生産を命じた。1935年6月、名古屋造兵廠の監督下で生産が開始された。これ以後1945年6月までの10年間に南部銃製造所とその後身の中央工業が軍に供給した九四式は71000挺以上だ。正確な生産数は不明だが、これを大幅に越えることはない。
 九四式の作動は独立ロッキングラグを備えた反動利用式だ。このロッキングラグが入るフレーム内のスペースは、両サイドから機械加工で削られ、この上から薄いプレートをアリミゾに差し込んでかしめてふさいでいる。フレーム後部も同様に、プレートでふさがれている。これは十四年式で複雑だった機械による削りだし加工を単純にする必要からである。ボルトはファイアリングピンが入る内部の穴をドリルによって開けた後、コッキングピースを溶接して作られている。リコイルスプリングブッシングはフレームから突き出した突起で保持される。リアサイトは単純なノッチデザインで、フレームのブリッジ部の上に機械加工で削り出されている。フロントサイトは別体で、スライド上のアリミゾに差し込んでかしめて固定されている。
 弾薬が発火すると、バレルとスライドはともにおよそ2.5から3mm後退する。するとロッキングブロックは下降を開始する。ロッキングブロックがここからさらに2.5から3mm後退するとスライドとの結合は解ける。バレルはフレームに当たって止まり、スライドのみ後退を続行する。空薬莢は排出され、次弾が装填される。
 他の全ての南部デザインのピストルと異なり、九四式はストライカーではなく内蔵ハンマーと独立したファイアリングピンを備えている。ハンマースプリングは強く、従来のストライカー式で問題だった不発問題を排除した。ただ、シアデザインとも合わせ、この方式によってトリガープルが重くなる傾向があった。ファイアリングピンには小さなリターンスプリングが付属し、ファイアリングピンを通常後ろに保持した。これは分解用クロスボルト保持のためでもあった。
 長い露出したシアバーは常に批判されてきた。このデザインのため暴発が起きる可能性がある。しかし、これが起きるのはセーフティをかけていないときだけだ。これよりずっと大きな問題は、ファイアリングピンにある。クロスボルトとかみ合うリセスが切られている部分が弱く、折れやすい。
 マガジンキャッチも批判を受ける箇所だ。必要以上に大きく突出しているため、左面を下にして硬いところに置くとマガジンが抜けてしまうことがある。ホルスターに入れることによってもマガジンの脱落が起きる可能性がある。
 九四式のマニュアルセーフティはシンプルだが効果的なもので、ハンマーを保持しているシアバーの後端をブロックする。セーフティレバーはフレーム左面にあり、比較的親指が届きやすい位置にある。この点は十四年式から大きく進歩している。
 南部の従来デザイン同様、九四式にもホールドオープンデバイスがある。ただし独立したものではなく、マガジンフォーロワによってスライドを止める形式だ。弾薬がなくなるとホールドオープンして射手にそれを知らせるが、ロードのためマガジンを抜けばスライドは戻ってしまい、もう一度引き直さなければならない。ホールドオープン状態からマガジンを抜くためには、リコイルスプリングの力で前進しようとするボルトによってマガジンフォーロワが強く抑えられた状態から行わなくてはならない。九四式のリコイルスプリングは2本使用されている十四年式のそれより弱いが、ホールドオープン状態からマガジンを抜くのは依然として難しいままだ。これはボルトによって抑えられるマガジンフォーロワの形状が不適当だからでもある。
 九四式はクリーンなラインと芸術的なエレガントさを持つ十四年式に比べ、美しさに欠けている。トリガーガード、やトリガーは不気味な雰囲気をかもしだし、小さすぎるグリップはアンバランス、トップヘビーの印象を与え、プラスチックのグリップパネルは十四年式の木製のような温かみがない。同時代の九六式軽機関銃、百式機関短銃なども一種似た雰囲気を持っているが。

 十四年式の代用となる軍用サイドアームを開発するという目的の多くは明らかに達成されている。九四式は十四年式より5オンス軽く、2インチ短い、より小型の拳銃であり、大量生産が可能である。スタンダードな8mm弾薬が使え、要求されたマガジンセーフティも備えている。十四年式と比べると、マニュアルセーフティはずっと操作しやすく、ハンマー式のため発火はより確実だ。ただし、トリガー及びシアの設計がよくないためトリガープルのスムーズさでは大きく劣り、マガジンキャパシティが6発しかない。たぶん多くの人が意外に思うだろうが、旧日本軍には十四年式より九四式を好む使用者が多く、九四式は成功作となった。
 十年間の生産期間中、九四式にはデザイン、フィニッシュ両方に重大な、そして小さな変更があり、結果的に驚くほど多数のバリエーションが生じている。十四年式の場合と異なり、多くはデザイン上の改良ではなく、生産性向上のための簡略化だ。これは戦時中の需要が日本の工業生産力を超えていたからである。

バリエーション
 九四式はある変更が行われた後、余ったパーツの使用などによって、旧型の特徴を持つ銃が生産され続けた。例えばエボナイト製グリップつきモデルは最後まで少数の生産が続いた。このため分類は難しいが、主に次のような識別のポイントがある。

フレームの刻印
スライド及びフレームの削り出し加工
シアバーの形状
マガジン
グリップパネル
フレームのネジ
スライドの形状
ボルト前面の形状
コッキングピースの形状
ハンマーとシアのかみ合いかた
エキストラクターの取りつけかた
リアサイト
金属部分のツールマークと仕上げ


 ここに示したのは意訳、要約だし、ここから始まるコレクター向きの非常に細かいバリエーションに関する説明が全体の大部分を占めていて、九四式に関する内容のごく一部だ。そしてこの他に民間用として輸出するために作られたと見られる九四式の原型となった試作銃の写真、パテント図面なども掲載されている。高価な本ではあるが、興味のある方には購入をお勧めする。

 九四式の製造に関し、誤解していた内容があった。フレームはまずアーチ状部分内部を削りだし、その後そこを避けながらその真下のフレーム内部を削りだしたのかと思ったが、実はフレーム後部から内部を削りだしたのち、プレートをアリミゾに差し込んでかしめてふさいでいたのだ。そう言われてから見れば確かに実銃のフレーム後部の写真にはここにラインとかしめのための打痕がある。また、パーツを示すイラストでもよく見れば別パーツのように描かれているものがあった。ロッキングブロックの入るスペースを外部からふさぐプレートも溶接ではなく、アリミゾ結合の後かしめられていた。ボルトは一体で削りだしているわけではなく、コッキングピースを別に製造した後溶接していた。
 確かにフレーム後部のプレートとコッキングピースを別に作って結合すれば削りだし加工は容易になるが、ただでさえ十四年式より多かったパーツ数がさらに増え、アリミゾを切ったり溶接するといった手間も増えるので、生産性が悪かったこと、不合理な構造だったことは間違いないと思う。
 十四年式では初期に不発が多く、ファイアリングピンを短縮して前進距離を大きくするなどの改良が行われたが、これでも完全ではなく、この点はハンマー式の九四式の方が優れていた、ということのようだ。そしてこの点では二式拳銃より優れていた可能性が高い。ファイアリングピンが折れやすいという欠点は私が知る範囲の日本の資料には記述がなかった。マガジンキャッチは操作しやすくていい設計だと思ったが、突出が大きすぎて左面を下に硬い面に置いたりホルスターに収めただけで脱落が起こりうる欠点があったとされ、これも日本の資料では見つからなかった指摘だった。ただこれは改良しようとすれば全く簡単なはずで、最後まで改良されなかったのなら現場では大きな問題ではなかったのではないかと思う。
 ただ、セーフティが効果的なデザインであり、セーフティをかけておけば暴発は起こらないという内容には同意できない。旧作の「実銃について」で指摘したように、セーフティがそれ自体の弾性でクリックするのに、クリックのためしなる方向とレットオフを許す方向が同一というのは明らかに間違った設計だと思うし、軸がフレームを貫通していないためガタが出やすく、結果的に暴発につながりやすいのも間違いないと思う。暴発は言われているほど簡単には起こらないとされ、さらにセーフティをかけておけばさらに起こりにくくなったとは思うが、それでも銃を落とし、何らかの突起にシアバーの先端が当たるなどして暴発する可能性はあっただろう。また、これも繰り返しになるが、当時も普通の銃にはこういう欠点はなかったのだし、このような構造にすることによる特別のメリットは何ら見当たらない。
 「セーフティをかけた九四式は、他の銃をロードし、コックし、セーフティをオフにした状態より安全である。」というのはまあそういう言い方をすればそうだろうが、「日本の戦闘機が遅かったと言っても、最大限の爆弾を積んだ他国の戦闘機よりは速かった」とか「日本の戦車が弱かったと言っても、主砲弾を撃ちつくした他国の戦車よりは強かった」みたいなもので、逆に馬鹿にされているような気がしないでもない。
 セーフティの軸をフレームを貫通する形にしてガタが出にくくし、しならないように強固なパーツとしてクリックのためのスプリング、プランジャーを別に用意し、さらにシアバーの支点から前を薄い鉄板でカバーすれば安全面の問題は当時のレベルでは一応合格点が出せる水準になっただろうが、パーツ数はさらに増加してしまう。
 二式拳銃の開発開始は太平洋戦争突入後だが、技術的にそれまでできなかったような内容は含まれていない。二式拳銃の納入価格は九四式よりずっと高かったそうだ。どうしてこうだったのか事情は不明だが、少なくとも同じ条件で生産する場合二式拳銃の方がはるかに生産性の高い銃だったことは間違いないはずだ。もっと早期に浜田氏に8mm拳銃を開発させ、わざわざ生産性を低下させるような余計な修正要求をせず、九四式に換えていれば…まあそうしたところで戦局に全く影響がなかったことは間違いないが、「日本の拳銃はダメだった」という評価はいくぶん変わっただろうと思う。


戻るボタン