焼夷手段

 装甲戦闘車両を燃やすことは実地の中で困難と判明した。たいていの場合それは装甲戦闘車両が他の手段によってすでに戦闘不能になっているか、少なくとも走行不能にされている場合のみ成功した。1940年、鹵獲されたフランス戦車を使って実験を実施したが、この実験は戦車を火炎ビンの助けを借りて戦闘外に置くことがたやすく可能ではないことを示した。その上敵戦車のいろいろな型は半自動の消火設備を持ち、搭乗員はその助けを借りて生じた火に素早く対処できた。それでも火炎ビンはドイツ陸軍でも終戦まで近接対戦車戦闘手段のストックに含まれた。 「任意の大きさのビンを2/3のガソリンと1/3のオイルもしくは炎オイルで満たす。〜ビンには粘着テープで2本の特殊マッチを固定する。あるいはビンに麻布または灯心で栓をする。この灯心には投擲前に点火しなくてはならない。ビンを戦車に向かって投げる〜」(1942年10月7日における「対戦車防御、全兵器」、4巻、「対戦車近接戦闘の方針」) 複数の火炎ビンを同時に戦車の後部に投げつけることに成功したときはより迅速な成功に至った。その内容物はエンジンの排気口を通ってエンジンルームに流れ込み、戦車を燃やした。鹵獲されたロシア製火炎ビン(「モロトフカクテル」)は、その燐の含有ゆえ特別良好に対戦車近接戦闘に適した。その内容物は空気に触れると独りでに発火した。

 対戦車近接戦闘のための他の焼夷手段(特に走行中の車両に対する)は戦闘輜重兵および補給部隊の構成員に委ねられた。「約3/4満たしたジェリカン煙幕手榴弾を固定する。対戦車近接戦闘者はこのジェリカンを持って敵戦車に忍び寄る。戦車至近の遮蔽物内において銃剣を使ってジェリカンにいくつかの穴を開ける。その後煙幕手榴弾の点火紐を引き、ジェリカンを戦車の後部に投げる。これにより燃焼するガソリンがエンジンルームに到達し、戦車を燃やす。」(1944年4月30日における「対戦車部隊の戦闘学校」4巻「対戦車近接戦闘」)



 火炎放射器の使用はたいていの場合走行不能にされた戦車に対してのみ考慮された。まず初めに使用可能だったのは36kgと1人の兵にはあまりにも重すぎる火炎放射器34だった。これは11.8リットルの火炎オイル ナンバー19を受け入れ、窒素で作動した。火炎放射器40はより少ない火炎オイル(7.5リットル)を受け入れ、より軽くもあった。東前線における極度の低温に際し、この酸素を駆動手段として作動する器具では再三にわたって点火不良を起こした。このため改良型である噴射カートリッジを持つ火炎放射器41が採用された。これは10個の点火カートリッジを持つマガジンを備え、重量は18kgで7リットルの火炎オイルを受け入れた。射程は30mとされる。1944年10月以後、突撃部隊用には突破火炎放射器46が存在した。この重量3.6kgの使い捨て兵器は0.5秒持続する30mまでの火炎を放射した。終戦までに早くも30,700基が供給された。



 1943年11月9日における注意書き29/13「火炎放射器の実戦投入と使用」の中では、対戦車近接戦闘の枠組み内でのこうした兵器の使用が次のように記述されている。 「防御において対戦車近接防御用火炎放射器は対戦車近接戦闘部隊に所属する。装甲戦闘車両は停止あるいは低速走行している間に火炎放射器部隊によって襲撃される。同行する歩兵は急速に殲滅される。視察スリット、銃眼、ハッチは火炎放射によって外が見えなくなり、使用不能になる。これにより対戦車近接戦闘部隊による爆薬を持っての前進が支援される。対戦車近接戦闘においては火炎放射器の使用と結びついた火炎ビンの使用が真価を示してきている。

 陸軍第五兵団総司令部の、ロシア製およびイギリス製戦車との戦闘での経験に関する1941年12月15日におけるレポートでは、多数の戦闘車両がハッチを突然、また一気に開き、ガソリンの流し込みによって殲滅された旨言及されている。点火には柄付き、または卵型ハンドグレネード゙が使用された。卵型ハンドグレネードは視察スリットや砲身に固定された。


 旧日本軍がノモンハンで当初多数のソ連戦車を火炎ビンによって撃破したことは有名ですが、例えば五味川純平氏は「ノモンハン」の中で「火炎瓶などは、何もなくなったときに余儀なく使用する武器であって、はじめからそれを当てにして近代野戦を戦う武器ではない」と批判しています。趣旨に異論はありませんが火炎ビンを対戦車兵器の1つとして組織的に使用したのはドイツ軍も同じだったわけです。

 ちょっと驚くのは「戦闘輜重兵および補給部隊」(これは日本で「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」と言われたような、普通直接戦闘には参加しないと思われる兵たちでしょう)によるジェリカン攻撃です。イラストは当時の教本から取ったものだそうで、20リットル入りのジェリカン(ちなみにドイツ語では「ベンジンキャニスター」)に煙幕手榴弾をワイヤー状のもので固定し、紐を引いて発火させてから投げつけると言うんですが、計算してみると20リットル入りのジェリカンに3/4のガソリンを入れるとガソリンの重さだけで11kg以上になり、それを走行中の戦車に投げつけるというのは普段から重いものを運ぶのに慣れているであろう部隊の兵にとっても至難の業だったはずです。増して戦車に随伴する歩兵がいたら不可能に近かったのではないでしょうか。煙幕手榴弾自体には重要な意味はなく、単に遅延発火させられる手近なものだっただけでしょう。

 火炎放射器については他のページでより詳しく触れましたが、「突破火炎放射器46」(「Einstoss-Flammenwerfer 46」)の写真はこの本で初めて見ました。何と言うかもっとスマートでカッコいい形状を想像していましたが、同じ戦争末期の使い捨て兵器でもパンツァーファウストよりずっと粗末な印象で、兵器というよりむしろ工具といった感じです。グリースガンやリバレーターはさすがに銃に関する知識のない人でも銃と分かるでしょうが、この火炎放射器なら例えば現在工事現場とかで持っていても誰も怪しまないでしょうね。ちなみに以前検索したときはネット上には画像が見つからなかったんですが、今回こんなページを見つけました。

http://www.bayonetstrength.150m.com/Weapons/flamethrowers/backpack_flamethrowers.htm

 当時の文書からは火炎放射器は停止または低速走行している状態のときに一時的にめくらましする程度の効果しかなく、その状態で別の兵器による攻撃が必要だったことも分かります。










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