チャールトン軽機関銃

 かなりのガンマニアならばオーストラリアの銃は2、3挙げられるでしょうが、ニュージーランド製の銃を挙げられる人はごく少ないのではないでしょうか。今回は存在自体全く知らなかったニュージーランド製軽機関銃に関するページの内容を紹介します。

査爾頓軽机槍


ニュージーランドの改造力作 チャールトン軽機関銃

1941年後半、日本は野心にあふれて太平洋沿岸を攻略しようとし、特にオーストラリア、ニュージーランドなどイギリス連邦構成国を虎視眈々と狙っていた。当時、イギリス本島はヒトラーの攻勢に対応するため自分のことでさえ手いっぱいだったため、兵力上でも武器装備上でもオーストラリアやニュージーランドを支援する力はなかった。このため両国は止むを得ず自分の力に頼って日本の侵略からの防御を行った。この状況に対応するため、ニュージーランドの設計の天才チャールトンは1941年に、旧式なボルトアクション式小銃を基礎にチャールトン機関銃を改造して作り出した。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「チャールトンは天才的設計頭脳を持ち、かつ謙虚で新しい思想や他人の提案をよく受け入れ、ニュージーランド武器国産化に重大な貢献をなした」 続いて2枚目。「ニュージーランド国立陸軍博物館館長が、館内に収蔵されている初期のニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃を手に持っている。現在当局が保管するチャールトン軽機関銃は5挺だけである」)

情報の乏しい設計者

設計者のフィリップ チャールトンに関しては、現在すでに知る人は少なく、断片的な歴史資料とチャールトン家の人の証言で少しのことを知ることができるだけである。

フィリップ チャールトンは1901年にイングランドで生まれた。彼は優れた技術者で、天才的設計頭脳を持ち、あらゆる複雑精密設備に対し興味津々だった。イングランドにいた期間、彼は自動車技術士の肩書を得た。1923年、チャールトンはイングランドからニュージーランドに移住し、出発前数日図書館で読んだ関連知識だけに頼って、乗った船で設備技術者と無線電信操作員を担当し、最終的に安全にニュージーランドに到着した(頑住吉注:凄いのは認めますけど、任せる方もどうなんですかそれは)。ニュージーランドに着いた後、チャールトンはヘイスティングスに居を構え、現地に自動車エンジン工場を開設した。チャールトンは人に対し謙虚で、同僚たちは彼が新しい思想をよく受け入れる、頭脳明晰な設計者であり、特にいくつかの設備に改良を行うのが得意だと考えた。

機械設備に強い関心があった以外に、チャールトンは武器に対しても非常に熱心だった。かれはかつて14歳の誕生日にイギリスのBSA社が生産した0.22インチ口径のライフルをプレゼントとして手にし、それから武器に対する熱愛がいよいよ収拾がつかないほどになり、しょっちゅう他の銃器愛好者たちと共に深い討議や射撃練習を行った。第二次大戦勃発前、ニュージーランドの2人の設計者バコムとドーソンは、旧式なリー・エンフィールドボルトアクション式ライフルをセミオートライフルに改造した。チャールトンは彼らの設計図面を見て、彼らの設計にはまだ改良の余地があると考えた。そこで、彼は旧式なリー・エンフィールドライフルとリー・メイテフライフルを基礎に、セミオート射撃もフルオート射撃もできる軽機関銃の改造に成功し、自分の名前をもってこれをチャールトン軽機関銃と命名した。

当然、チャールトンの改造は順風満帆ではなく、途中多くの故障が連続して起きた。だが彼は弱気にならず、頻繁に他の武器設計者や銃器愛好者と発生した問題を討論し、虚心に彼らに教えを求めた。最終的に改造作業を完成させ、パテントも取得した。チャールトン軽機関銃は見たところ相当不細工だが、この銃の作動は信頼性が高く、安全性が比較的高かった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「スリングベルトとバイポッドが付属した初期のニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃」)

何度もの努力でついに認可を獲得

第二次大戦勃発後、イギリスはあらゆる資源を対ヒトラー作戦向けに結集し、オーストラリアやニュージーランド向けに既存の武器を提供する能力はなかった。両国は自ら解決方法を考えるしかなかった。

こうした中、チャールトンは1941年6月にニュージーランドの国会議員と陸軍将校に向け、自分のチャールトン軽機関銃をデモンストレーションした。しかし、軍の上層部は、彼に旧式なボルトアクション式ライフルを実用的なフルオート機関銃に改造できるとは信じなかった。チャールトンの第1回目の売り込みは失敗した。

だがチャールトンはこれを放棄しなかった。彼は軍上層部の賛同を得たいなら、理論的に彼らに説明するだけでは不充分で、彼ら向けに射撃デモンストレーションを行い、彼ら自身にチャールトン軽機関銃を体験させる必要もある、と意識するに至った。そこで同じ年の秋、チャールトンは第2回目の議会と陸軍に向けた申請の提出を行い、チャールトン軽機関銃に対し現場での射撃デモンストレーションを行うよう要求した。射撃デモンストレーションは1941年11月に行われ、効果は非常に良好で、ニュージーランド軍はこの銃のパフォーマンスに対し満足し、この銃を直ちに生産開始することを決定し、ニュージーランド国民警備隊の使用のため配給するよう計画した。これによりチャールトンは第1の軍との契約を手にした。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「1941年、初期のニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃がニュージーランドで射撃テストされている」 続いて2枚目。「オーストラリア陸軍博物館に収蔵されている後期のニュージーランドバージョンチャールトン軽機関銃のレシーバーの特写」)

チャールトン軽機関銃の改造

チャールトン軽機関銃は0.303インチイギリス制式弾薬を発射し、ガスオペレーション式作動原理を採用し、発射速度は毎分600発である。

チャールトン軽機関銃には全部で2つのバージョンがある。ニュージーランドバージョンとオーストラリアバージョンである。ニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃はヘイスティングス所在のチャールトン自動車エンジン工場で製造され、全部で1,500挺生産された。この銃はバレル中央部下方にフォアグリップが追加され、ストック基部にもグリップが追加され、かつストック後部が適度に下げられて改造後の機関銃の操作をスムーズにしていた。チャールトンはさらにオリジナル銃のサイトを改修し、かつマガジン挿入穴にも改造を加えた。改造を経て、装弾数が増大したリー・エンフィールド小銃のマガジンあるいは改造したブレン軽機関銃のマガジンを使用した。チャールトン軽機関銃のバレルは、オリジナル銃を基礎に短縮が行われた。バレルの放熱効果を強化するため、バレル後部に多数の放熱フィンが追加され、バレル前端にはマズルブレーキが装備された。フルオート時のさらなる安定のため、バレル中央部、フォアグリップ前方にバイポッドも装備された。

後にこのチャールトン軽機関銃に適当な改良が行われた。最も変化があったのはグリップとフォアグリップのスタイルに新たな設計が行われたことで、より保持が容易になった。この他、銃口装置の形状にも改良が行われ、ラッパ型に改められ、消炎効果がさらに少し良くなった。

1942年、チャールトンとオーストラリア政府は協議し、オーストラリアで1万挺のニュージーランドバージョンに似たチャールトン軽機関銃を生産することになった。これがオーストラリアバージョンのチャールトン軽機関銃である。この銃にはフォアグリップとバイポッドが装備されておらず、このため外観上ニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃と大きく異なっている。だが最終的にオーストラリアバージョンのチャールトン軽機関銃は種々の原因ゆえに量産が行われず、少数の試作型のみ生産された。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「チャールトンの家族が収蔵する初期のニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃」 続いて2枚目。「オーストラリア陸軍博物館に収蔵される後期のニュージーランドバージョンのチャールトン軽機関銃。これは初期の軽機関銃を基礎に、異なるスタイルのグリップ、フォアグリップ、銃口装置を使うよう変更されている。」)


ニュージーランド武器国産化の先導

最終的に、連合軍は正義に頼り、強大な海上および空中戦力をもって日本軍国主義に勝利し、第二次大戦はこれにより終結した。日本がニュージーランドに侵入することはなく、チャールトン軽機関銃も戦場で力量を見せることはなかった。

第二次大戦終結後、チャールトン軽機関銃はパーマストンノース兵器工場の保管室に保管されたが、ほどなく工場に大火災が発生し大多数のチャールトン軽機関銃を損壊させた。200挺に満たない銃だけが幸い残され、部隊訓練と展示に用いられた。時間の推移と頻繁な使用につれ、この200挺のチャールトン軽機関銃も次々壊れて廃棄処分され、現在少数のみ幸い残存し、歴史の目撃者たる遺物となっている。このうち当局が保存してきた5挺はそれぞれニュージーランドとオーストラリアのそれぞれの博物館に保存され、さらに少数の銃が私人のコレクターに収蔵されている。

チャールトン軽機関銃は武器史学者に極めて歓迎を受ける。何故ならこの銃は巧妙な設計の武器であるだけでなく、さらにニュージーランドの武器国産化に対し重大な貢献をなしたからである。


 リー・エンフィールド改造とされてますがどう見ても全く原形を留めてませんし、生産も新規に行われたようです。後期のグリップはオーストラリアのオーステンサブマシンガンにそっくりで、あるいは流用かも知れません。「ニュージーランドの武器国産化に対し重大な貢献をなした」って言ってますが、その後もニュージーランド製の銃なんてほとんどないのと違いますか。









戻るボタン