1.ハンドガンの発達

1.1 始まり
 火器の起源は歴史の霞の中に隠されている。しかし、全体状況を見るとき、ときどきかすかに見えるものがある。修道士Berthold der Schwarze(Bertholdus Niger フランシスコ会またはシトー会の修道士と推測される 頑住吉注:「黒のベルソルド」みたいな感じですが、「黒」自体に聖職者の意味があり、「聖職者ベルソルド」といったニュアンスかも知れません)は時として射撃火薬(黒色火薬)および火器の発明者と考えられることがある。伝えられるところによれば、それゆえ彼は(頑住吉注:異端者として)1388年に死刑判決を受けたという。しかし火器はすでに1326年に存在したことが証明できる。また爆発火薬はすでに13世紀の最初の10年のうちに中国で使われていた。これにより火器および火薬の元祖としてのBertholdusは否定される。しかしこの発明の才ある修道士の伝説は、あるリアルなバックグラウンドを持つように思われる。というのは、1380年にある「nyger pertoldes」(頑住吉注:この人の呼び名の別の言語表記のようです)が「chunst aus puchsen zu schyessen」(頑住吉注:これもドイツ語ではなく全く意味不明です)を改良したと証明できているからである。

 ドイツにおけるハンドガンの最初の使用は、資料が得られる限りでは1346年に都市アーヘンで証明されている。そして1348年、マイン川流域の都市フランクフルトの文書にはブロンズ製の「手銃」(頑住吉注:「Handbuchsen」・「u」はウムラウト・複数形)が記載されている。

 最初の火器は鉄から鍛造されるかブロンズから鋳造された。それは小型大砲のサイズだったらしい。装填は前から行われ、赤熱したワイヤーで点火口に点火された。

 ニュールンベルグのジャーマンミュージアム(頑住吉注:「Germanischen Museum」)には、得られているうち最古の手で持って撃つ銃(頑住吉注:「Handfeuerwaffen」)の1つが保管されている。これはブロンズで鋳造された「タンネンベルグの銃」(頑住吉注:「Tannenberger Buchse」・「u」はウムラウト)である(図1-1を見よ)。バレルの外部は8角形で、内径は17mmである。バレル後部には直径9mmの火薬チャンバーがつながっている。発射薬の点火は点火口から行われた。この鋳造物の後端には継ぎ足し部が備えられ、その中には長い棒状の「ストック」が挿入されていたらしい。この銃は射撃時には1本の手で持ち、ストックを腕と体の間に挟み、点火のため他の手で火縄か赤熱したワイヤーを点火口に持っていった。我々は「タンネンベルグの銃」に、ここからライフルとハンドガンが発展した、パーソナルな火器の原型を見てもよい。これは1399年以前に作られたに違いない。というのは、この銃はこの年に完全に破壊されたタンネンベルグ要塞の瓦礫の山の下から発見されたからである。

図1-1

(頑住吉注:「タンネンベルグの銃」というのはこんなものです。単純にいえば本当に「片方がふさがった金属パイプに点火口を開けたもの」に過ぎません。口径は17mm、その後ろに内径が9mmに細くなった火薬スペースがあり、両方合わせて280mmとなっています。弾丸を加速する機能のある真の銃身部分は見たところその55%くらいのようです。後部の「継ぎ足し部」というのは銃身と前後逆に片方がふさがった短いパイプ状になっている部分です。ここに棒状の持ち手が差し込まれていたとされますが、記述からしてそれは腐ってなくなっており、推測に過ぎないようです。点火口の入り口はラッパ状に広げられています。弾丸に何が使われたのかについては触れられていません。)

 だが火器が、一般的に普及し完璧なものに大いに近づいた遠隔兵器である弓、そして特にクロスボーに打ち勝つまでにはなお長い時間がかかることになる。ちなみに後者は1139年の第2回ラテラノ宮殿公会議において教皇インノセントV世下のカトリック教会によって、「残虐で非キリスト教的な兵器」として、異教徒に対する戦いの際を除いて禁止された。これは初期の武装制限の試みであったが、後のものと同様にうまくいかなかった。

 高い弾道学的成績、発射速度、命中精度を持つ今日の銃への道は長く、そして困難だった。というのは、自然科学はまず始めにはわずかな発達しかしておらず、そして製造技術は手作業レベルにあったからである。時代の進行につれて冶金工学、機械工学、化学、製造技術、弾道学が発達し、銃器技術は生産的刺激を受け、常に成績の良い銃器を考え出すこと、そして製造することができるようになっていった。

1.2 ハンドガンの発達方向
 全ての銃器と同様にハンドガンも遠隔兵器である。大部分はセルフディフェンス用、警察および軍の実戦用戦闘兵器として役立つ。スポーツ射撃用に製造されるものはより少ない数である。我々はここでは第一に戦闘兵器と取り組みたい。なぜならスポーツ銃はそこから(比較的遅く)発達してきたものだからである。

 ハンドガンはその発達経過の中で、常によりよくその戦術的任務に適合するようになってきた。この任務は、小さな寸法と重量において、生命を脅かす攻撃に対する防御のためのできるだけ大きなポテンシャルを与えることにある。簡単に言えば次のようになる。

銃器は

a) 携帯しやすく、
b) 単純で、安全で、素早く使え、
c) より短い時間内に大きな発射数を可能とし、
d) 充分な効果を持つ弾丸を発射し、
e) 射手の個人的散布と比較して正確に射撃できる

ものでなければならない(頑住吉注:「e」の「射手の個人的散布と比較して」という部分がいまいち意味不明ですが、「なるべく命中精度が高い」という理解でいいと思います)。

 我々は以下において発達の歩みについて、普通通りまず始めに点火メカニズムを追い、そしてその後他の特徴に取り組みたい。

1.3 マッチロック(頑住吉注:「Das Luntenschloss」。いわゆる火縄式のことです)
 最初の火器は重く、そしてたいてい2人で操作されたらしい。1人は「照準者」として働き、2番目が発射の役目を果した。すでに1378年には発明されていた単純なマッチロックにより、第2の人間はいなくて済むようになった。マッチロックを装備した前装銃の場合、点火口は点火薬(細かい黒色火薬)を受け入れる銃外部の火皿につながっている。銃のストックにはこの点火装置が取り付けられている。

 単純なマッチロック(図1-2を見よ)は本質的には発火装置薄板(1)からなり、そこに回転可能なハンマー(2 Drachenとも言う)がマウントされている。ハンマーには火縄(5)がはさまれている。火縄はトリガー(3)の引きによって火皿上の点火薬に下降できる。スプリング(4)は火縄を火皿から充分な距離にあるノーマル位置に置く役割を果している。このマッチロックの形は15世紀半ばまでに開発されていた。

図1-2

 火縄は亜麻または麻の紐からできていた。これに鉛アセテート溶液をしみこませ、それにより炎を上げずに赤く燃える時間を延長した(燃焼速度60〜70cm/h)。

 後の15世紀の終わり頃、マッチ「schnapp」ロックが生じた(頑住吉注:括弧内の単語は「ぱくりとかみつく」などの意味です)。これはサイドに押しボタンを装備した最も単純な型に入るが、普遍的には我々が今日知っているようなトリガーと見ることができる。図1-3はサイドの押しボタンを持つマッチ「schnapp」ロックの原理を示している。ハンマー(2)、ハンマースプリング(3)、ボタンスプリング(4)は発火装置薄板にマウントされている。「歯」(5)はハンマーをハンマースプリングの圧力に抗してコック位置に保持している。使用者はボタン(6)を矢印方向に動かす(頑住吉注:ごめんなさい。この矢印書き込むの忘れちゃいましたが、上の図では奥、下の図では上になります)。すると「歯」による支えは身を引き、ハンマーは解放される。続いてハンマースプリングは火縄の付属したハンマーを(図示していない)火皿上の点火薬に向けて動かす。

図1-3

 マッチロックの欠点は、状況が要求する間射手が非常に長時間、燃える火縄を用意して保持しなければならないことにある。その上火縄は燃え尽きた分を埋め合わせるため、非常に頻繁にハンマー内で押し動かさなくてはならない。発射前、火縄から燃えかすを取り除き、火薬を入れた火皿のカバーを開けることになる。

 夜間は射手の存在が赤く燃える火縄の光によって露見する可能性がある。ただし臭いでは常にその可能性がある。火縄は匂うものなのである。ヨーロッパ領域由来のマッチロックピストルは得られないままである。それが存在したとしても少数だったに違いない。


 英語のロックにあたる「Schloss」という単語には「発火機構」の意味があり(他にも「錠」などさまざまな意味がありますが)、最新式のプラスチックフレームオートでもストライカー、またはハンマー式の「Schloss」が使われている、というような表現が使われます。今後出てくるホイールロック、フリントロック、パーカッションロックといったシステムでも全て語尾にこの「Schloss」がついてきます。

 火縄は「Lunten」と言いますが、「タンネンベルグの銃」もこの火縄で点火された可能性が指摘されているのに「Luntenschloss」には含まれていません。これは、点火口に手で持った火縄を持っていって点火する、というシステム(「タッチホール式」)は「発火機構」と言うには値しないからでしょう。ここには載っていませんが、最も単純な発火機構はハンマーとトリガーが一体で、中央を軸となるピンで止められており、トリガーを引く(押し上げる)とシーソー運動で火縄をつけたハンマーの先端が下降し、点火する「サーペンタイン ロック」と呼ばれるものです( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83 また「別冊GUN」Part5参照)。図1-2で示されたものは可動パーツが4つもありますが、基本は同じです。トリガーを引くと力がハンマーに伝達され、火縄が下降します。当然トリガーをゆっくり引けばゆっくり、速く引けば速く下降するわけで、一般的な「ハンマー」の動きとは異なり、高い命中精度は期待できません。一方15世紀の終わり頃に登場したという「Luntenschnappschloss」はハンマーがシアで保持され、トリガーの代わりとなる押しボタンを押すとシアが外れてスプリングの力で急速にハンマーが落ちる、という現在のハンマーに近い形式です。これならシステム上理論的にはフリントロック式と同等の命中精度が期待できます。

 なお、両システムとも「発火装置薄板」(「Schlossblech」)と呼ばれる金属板にパーツを固定し、木製ストックの側面に取りつけていますが、これはパーカッション式まで非常にポピュラーに使われていくことになる手法です。

 意外ですが、ヨーロッパ製の火縄式ハンドガンは発見されていないということです。これはハンドガンが携帯用の、緊急の必要に迫られて使用することが多い性格のものであるのに対し、火縄式は発射準備に時間がかかりすぎてあまり役に立たなかったからであると考えられます。

















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