1.18 ワルサーの貢献

 リボルバーあるいはセルフローディングピストル発展の最初に明確に影響したコルトあるいはブローニングとは異なり、ワルサー一族、特にFlitz Waltherの貢献は、本質的にはセルフローディングピストルの完璧化の中にある(頑住吉注:ん? 前回と論調が少し変わってませんかね)。Carl Waltherは1886年にチューリンゲンの、後のZella Mehlisにライフル工房を設立した。ここでは最初にはターゲットシューティング用のライフルだけが製造されていた。彼の息子フリッツは1907年にドイツ初のベストポケットピストルを口径6.35mmで設計した。この銃はまだ多くの観点においてFNブローニングピストル モデル1906に依拠したものだった。この銃、「モデル1」は1908年以後製造された。

 図1-73はコックされていない、マガジンのないピストルの断面図を示している。マガジンキャパシティは6発で、重量は約360g、全長は約110mmである。マガジン挿入穴の後方に位置する板バネは、下端でマガジンキャッチを、そして上端で図示されていないトリガーバーを圧している。トリガーバーはトリガーを、同様に図示されていないレバーと結合している。このレバーはトリガーが引かれた際、ほとんど垂直に可動式のコックパーツ(頑住吉注:シア)を下方に圧する。このコックパーツはフレームを横切って押し動かすことができるセーフティによってこの動きを妨げられることができる。スライドは前部においてはバレルによって誘導される。後方はその右側面にノッチを持ち、この中に短い誘導枠が保持されている。この誘導枠はスライドの分解のため、押しボタンによって凹まされることができる。この押しボタンは銃の右サイド、スライド直下にある。



図1-73 ワルサーピストル モデル1の断面図。(頑住吉注:この図は二式拳銃の「実銃について」で使用したものの流用で、シアを青、クロスボルト式セーフティを赤で補足的に着色してあります。あのとき書いたように、この銃の分解方法には不明な点があり、ここの記述も少し違うだろうと思います。 http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/walther_modell1.jpg これはワルサーモデル1のパーツ展開図です。スライド後部はフレーム後端から上に伸びたΩ状突起とかみ合うことによって誘導すなわち浮き上がりが抑えられます。ここで言う「誘導枠」とは補足的な誘導レールの役割を果たすテイクダウンラッチであり、後期型にしか存在しないためこのパーツ展開図には見られません。たぶんワルサーモデル1は比較的近い将来モデルアップすると思うので、この問題にはそのときに詳しく触れるつもりです。この銃に関してはこんなページもありました。 http://www.whog.org/originals/Walther_Model_1a.htm )

 このモデル1はきれいに製造され、かなりの商業的成功を成し遂げた。このことはさらなるモデルを開発する動機を与えた。この結果1909年にモデル2が続いた。この銃は同様に口径6.35mmのベストポケットピストルだった。全長は107mm、銃身長は54mmであり、重量は約280g、マガジンは6発のキャパシティを持っていた。図1-74はこのモデル2を示している(頑住吉注: http://www.whog.org/originals/Walther_Model_2.htm )。この銃の形状は有利に働くように最初のモデルと異なっていた。我々はモデル7までのさらなるモデルにおいてこの銃と出会う。その銃が対応する必要条件に応じ、異なるマガジンキャパシティ、銃身長、弾薬の大きさになり、サイズにおいてモデル2から逸脱していてもである(頑住吉注:要するにモデル2のデザインはモデル1より優れており、モデル7までモデル2の基本構造、外観が引き継がれたということです)。

 図1-75はモデル3の断面図を示している(頑住吉注: http://www.whog.org/originals/Model_3.htm )。この銃は1910年にマーケットに登場し、7.65mmブローニング口径弾薬を発射した。銃身長は65mm、全長は128mm、重量は470g、マガジン装弾数は6発である。ハンマーは下部に小さなローラーを備え、これは板バネに作用している。ハンマーのノッチはハンマーの回転軸とハンマーの上端部のほぼ中間に位置している。

この配置により、非常に省スペースな構造において、ハンマー回転軸点とノッチとの間の大きな距離が達成され、このことがパーツの低い負担を可能にしている。



(頑住吉注:実際は銃全体の断面図が掲載されていますが、私の画力ではかえって分かりにくくなりそうなので発火機構のみイラスト化しました。なお、 http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/Walther_Modell_4_ex.jpg これはワルサーモデル4のパーツ展開図で、モデル3とは大筋共通の構造ですから参考にしてください。この図はハンマーダウン状態ですが、スライドを引くと着色したパーツであるハンマーが起こされます。ハンマーには側面に段差があり、この段差が後方のシアにひっかけられてハンマーがコック状態で止められます。トリガーを引くとトリガーバーがシアを後方に押して動かし、ハンマーはレットオフされます。独立したディスコネクターはなく、ディスコネクトはベレッタオートのようにトリガーバー自体がスライドに押し下げられることによって行われます。私は常に精度、剛性の低い素材で製品を作っているので、ハンマーを回転軸に近いところより遠いところで支えた方がパーツの負担が少なくなるというのは良く分かります。またこういうデザインの方がトリガープルも軽く、スムーズなものにしやすいはずです。何故後にこういうデザインが放棄されたのかはよく分かりません。ハンマーやシアの横幅が取りにくいからでしょうか。)

 このシリーズの中ではさらに1916年に製造されたモデル6に言及すべきである。このピストルは同様にロックされていないスライドを持っているが、9mmパラベラム弾薬用に作られている。全長は210mm、銃身長は120mm、重量は965mmである。マガジンは8発を受け入れることができる。このモデル6は真価を示さなかった。強いリコイルショックがスライドの亀裂を導いたのである(頑住吉注: http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/Walther_Modell_6_ex.jpg )。

 1920年、モデル8によってフリッツ ワルサーはそれまで使っていたシステムと受け継がれてきた形状を捨てた。この図1-76に示された銃は非常に開口部の少ない構造の口径6.35mm小型ポケットピストルである(頑住吉注: http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/Walther_Modell_8_ex.jpg )。点火は前に位置するコックパーツを伴う内蔵ハンマーによってなされる。銃身長74mm、全長130mm、重量は350gである。マガジンは8発の弾薬を収容する(頑住吉注:この銃ではそれまでの、起きてきたハンマーを後方に位置するシアがつかまえるという変わった形式ではなく、ハンマーの前下部にシアが位置する通常の形式になっており、外観的にもブローニング系デザインに近づいて個性を失っている感じがします。ただしセーフティは例えばブローニングM1910より右手の親指で操作しやすそうですし、PPシリーズに引き継がれるトリガーガードをラッチに使う分解方法がすでに生じていることは注目されます)。

 これまでにフリッツ ワルサーによって設計された銃が信頼性、耐久性が高く(モデル6は例外)、作りが良かったにせよ、それらの銃はその点で例えばザウエル&ゾーン、モーゼル、Stockのような他の有名ドイツメーカーと違いはなかった。むしろフリッツ ワルサーはその特別な地位をモデルPP(Polizei−Pistole 頑住吉注:警察ピストル)によって獲得した。その構造は当時の他全てのセルフローディングピストルに勝っていた。その最も有名な特徴であるダブルアクションはすでに長年知られていたし、あるポケットピストル(リトル トム)はモデルPPがマーケットに登場した1929年、すでに約8年来入手できる状態にあった。だが、製造およびマテリアルの明らかに高いクオリティ、信頼性、その安全設備は、リトル トムからも大きな距離を作り出していた。

 図1-77はフォルムの美しいPPモデルのエングレーブ型を示している。そのダブルアクショントリガーは、装填されているがコックされていない銃の、単にトリガーを引くことによる初弾の発射を可能にしている。一方続く発射のためにはリコイルによってコックされたハンマーを作動させなければならないだけである。コックされていない、装填された銃の携帯を安全にするため、このピストルはトリガーと連結されたオートマチックなセーフティを得た。トリガーが前の位置にあると、フレーム内に位置するかんぬき(頑住吉注:ハンマーブロック)がハンマーのファイアリングピンへの到達可能性を妨げる。射手が発射のためトリガーを後方に引くと、レバーは押し動かされ、ハンマーのルートがフリーになる。

 ハンマーに関節結合されたダブルアクションシアによるダブルアクションは1853年(Mangeot & Comblain)以来、トリガーの動きに連動するかんぬきによるセーフティは1900年頃以来リボルバー構造に導入されていた。フリッツ ワルサーにはこうした設備の実用的価値を理解していたことだけでなく、こうしたユーザーにとって価値ある両設備を持つセルフローディングピストルが入手できるように設計し、製造したという功績が属する。1931年には警察モデル(頑住吉注:PP)に小型化されたモデルであるPPK(Kriminalmodell 頑住吉注:刑事モデル)が続いた。両銃器は良いポケットピストルの手本となった。これらの銃は今日なお口径.22lfB、7.65mm、9mmクルツ仕様で製造されている。

 1936年、カールおよびフリッツ ワルサーはF.Barthelmesと共同で口径9mmパラベラム仕様のダブルアクショントリガーとオートマチックセーフティを持つミリタリーピストルも設計した。この銃は内蔵ハンマー付きで1937年にHeeres Pistole(頑住吉注:陸軍ピストル)として少数生産された。この銃は外装ハンマーおよびいくつかのメカニズムへの変更とともに、1938年にP38の名称の下にナチ・ドイツ軍に制式銃として採用された。トリガーの位置によるオートマチックセーフティは保ち続けられたが、P38の場合セーフティかんぬきはPPの場合のようにハンマーではなくファイアリングピンをブロックした。これにより例えばファイアリングピンに大きな力がかかるはずの、かなりの高さからの銃の落下による衝突のような非常に強い打撃の場合にも弾薬の発火は妨げられた(頑住吉注:デザインにもよりますが、ハンマーをブロックするよりファイアリングピンをブロックする方がより強い打撃に耐えられるということはないのではないかと思います。それよりファイアリングピンをブロックするタイプなら、装填した銃をマズルを下にして落とした場合にもファイアリングピンが慣性で前進してプライマーを突き、発火させる可能性がないという意味の方が大きいのではないでしょうか。)。

 図1-78はP38を示している。銃身長は125mm、全長は約216mm、重量は940g(スチール型)、マガジン装弾数は8発である。ドイツ連邦国防軍には軽合金フレームを持つ型のP38がP1の名前で採用されている(重量800g 頑住吉注:この本が書かれた頃はまだP8は登場していません)。

 ワルサーにおいて1932年、最初のスポーツピストルが作られた。この銃(図1-79を見よ)は口径.22lfBのセルフローディングピストルであり、そのマガジンは10発の弾薬を受け入れることができる(頑住吉注:この銃にははっきりした固有名詞の機種名がないらしく、検索してもひっかかりません。床井雅美氏の「ワルサー・ストーリー」P218には写真があります)。発火は内蔵ハンマー式発火機構によってなされ、これはモデル2〜7のそれと基本的に似ている(図1-75を見よ 頑住吉注:発火機構のみ抽出してイラスト化した上の図のことです)。この銃は長さ190mmのバレルを持ち、重量は800g、全長は270mmである。フロントサイトは高さが調節でき、リアサイトは押し動かすことによって左右に調節できる。ポケットピストルの場合すでに捨て去っていたハンマー・コックパーツ配置の構造に回帰したのは、同社が量産のずっと前にスポーツピストルのプロジェクトに取り組んでいたことに理由があると推測される。そして他の構造を新規開発するのは早期の導入の期日に都合が良くないと考えただけであるか、あるいは他のプロジェクトにフル稼働していたため時間がなかったかであるとも推測される(頑住吉注:私はあるいはこのシステムの方がトリガープルを軽く、スムーズにしやすいからではないかとも思いますが)。

 このワルサーによってセルフローディングスポーツピストルと名付けられた銃は非常に信頼性が高かった。1932年、オリンピック競技においてHaxはこの銃を使って当時今日とは違うルールに従って行われていたラピッドファイア射撃において銀メダルを獲得した。ワルサーモデル1〜8に似て、このセルフローディングスポーツピストルは非常に良好に製造され、信頼性が高かったが、例えばPPのように構造上卓越した銃ではなかった。

 だがすでに1936年においてフリッツ ワルサーはオリンピア ピストルの導入に新しい尺度を設定していた。これらの銃はいろいろな型で、.22クルツおよび.22lfB弾薬用に作られた。そのコックパーツは通常の方法でハンマーの前に位置し、スライドは単純な重量閉鎖式である。スライドはクリーニングのためにPPモデルの場合のように銃から取り去ることができる。すなわち弾薬を抜いたピストルのトリガーガードを下に回転させ、それによってスライドは完全に後方に引かれ、そして上方に取り外すことができる。良好な命中精度、信頼性に加え、このピストルも卓越した製造がなされていた。1936年のベルリンにおけるオリンピック競技では、ラピッドファイア射撃において上位5位が口径.22クルツのオリンピア ピストルによって獲得された。第二次大戦後、スイスの会社ヘンメリーがワルサーからこのオリンピア ピストル製造のライセンスを手にした。この銃は今日(1982年)までヘンメリーによって非常に良好なクオリティで製造されている。この銃の場合元々の構造は時の流れの中でいくつかのポイント(サイト、トリガープル調整)において変更されている。図1-80はオリンピア ラピッドファイアピストルを示している。そのバレルは長さ190mmである。この銃の重量は追加ウェイトなしで約785gである(頑住吉注:この銃は前掲書P220に写真があります)。

 同じベースに基き、ワルサーは.22lfB弾薬用のスポーツ銃も作った。図1-81は有名なハンターピストルを示している(頑住吉注:同じくP222)。その銃身長は(チャンバー抜きで)ハンティングにおける射撃のための当時のルールに適合した約100mmであり、重量は725gである。価格の比較は興味を引くかもしれない。1938年、オリンピア ラピッドファイアピストル(.22クルツ)は96ライヒスマルクだった。オリンピア スポーツピストルはハンターピストル(.22lfB)と同価格つまり77ライヒスマルクだった。今日ハンターピストルに対応するヘンメリー212の価格はとにかく1500ドイツマルク(西)以上である!

 第二次大戦の結果、まず第1にスポーツ銃のそれも含めドイツにおける全ての銃器生産が不可能となった。そしてワルサーはZella−Mehlisの生産場所を失った。前述のヘンメリーにおけるオリンピア ピストル生産のためのライセンス付与とならんで、Elsass(頑住吉注:アルザス)のMuhlhausen(頑住吉注:前の「u」はウムラウト ミューハウゼン)に所在する会社であるマニューリンとも、彼らにPPおよびPPKの生産を許す契約が結ばれた。西ドイツにおいてHandwaffen(頑住吉注:手で持って撃つ銃)の生産が再び可能になった後、ワルサーはドナウ河畔のUlmにおいて銃器生産を始めた。モデルPP、PPK、P38がほとんど変更なく生産続行された一方、その構造が完全に独自のものであり、合目的性および命中精度において当時一流の(製造技術的可能性の使用と長所は半導体技術が提供したものだった)、新しいスポーツピストルが誕生した。

 ここで話題にした銃であるOSP(1961)およびフリーピストル(1978)の構造はもはやフリッツ ワルサーに由来するものではなく、Karl Heinz Waltherが指揮する設計グループに起源を持つ。このワルサーによる新しいスポーツピストルおよびディフェンスガンの記述は、モダンな銃に関する対応する章にある。


 グロックがプラスチックフレームのオートを初めて作ったわけではありませんが、プラスチックフレームオートが頻出するきっかけを作り、そのお手本となったのは明らかにグロックです。それと同様に、ワルサーもダブルアクションオートを初めて作ったわけではありませんが、ダブルアクションオートが頻出するきっかけを作り、そのお手本となる銃を生み出しました。ブローニングと同格とまで言えるかはともかく、私はワルサーが現在のオートピストルに最も重要な影響を与えた存在の1つであるのは間違いないと思います。また、著者が現在においてこうした歴史を論述したならおそらくグロックの重要性にも言及しただろうと思います。









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