1.19 ダブルアクションセルフローディングピストルの発達
ワルサーのダブルアクションピストルは、セルフローディングピストルがライバルであるダブルアクションリボルバーに対抗して大幅に普及したことに関し、決定的な貢献をなしてきた。だが、ダブルアクションセルフローダーの起源はPPよりさらにずっと前にある。セルフローディングピストル出現の直後、すでにダブルアクションメカニズムを装備した銃が試みられていた。困難はダブルアクショントリガーを適した方法で閉鎖機構のコック運動とコンビネーションすることにあった。最初のダブルアクショントリガー付きセルフローディングピストル(マンリッヒャー1894.図1-58を見よ 頑住吉注:「1.14 初期段階におけるセルフローディングピストルの発達」の項目にあります)において、閉鎖機構は再装填(連発)には役立っていたが、ハンマーをコックすることがなかったことは、これにより説明される。
ダブルアクション装備は初弾の発射のために使えるが、続く射撃のためにはハンマーは閉鎖機構によってコックされるというダブルアクション構造の長所は、すでに非常に早くから明確に理解されていた。Kaisertreu(Pseudonym
Karel Krnkas)は、これに関して次のように記述している(Kaisertreu著:「オートマチック火器の主要な性質」、出版社 W.Braumuller & Sohn、オーストリア帝国およびハンガリー王国 宮廷および大学書籍取り扱い商、ウィーン 1902 頑住吉注:太字の「u」はウムラウト。要するに「1902年というオートピストル発達のきわめて初期段階にダブルアクションについて次のように記述した権威ある本がオーストリア・ハンガリー帝国で出版されていた」ということでしょう。この内容というのは文脈上ダブルアクションの長所は「初弾はダブルアクションで発射でき、続く射撃のためにハンマーが閉鎖機構によってコックされる」ことである、ということがすでに理解されていたことを示すものらしいんですが、古語のようで意味がはっきり分からないので省略します)。
Kaisertreuはこの章を次のように終えている。「私は『オートマチックピストル用に選ばれるのはシステムRothのダブルアクショントリガーを持つハンマー発火式銃器だけである』という要約によってこの論究を締めくくる。」。Rothのピストルが、後に作られた形において理想的なトリガーキャラクターを持たなかったにしろ、この基本アイデアは全くもって方向性を示すものだった。モデルM7ロス・ステアー(頑住吉注:ロス ステアーM1907 http://www.genitron.com/unique16.html )は、初弾の発射のためトリガーでコッキングを行うことができるストライカー発火機構を装備している。だが、発射時に後退した閉鎖機構によってストライカーは一部コックされるだけで、この結果トリガーを引く際、コック作業の残りはトリガーでさらに行われた(頑住吉注:いわゆるセミダブルアクション)。この独自方法は意図的なものだった。というのは、この銃は騎兵隊の武装のために使われ(このロス・ステアー銃は1907年にオーストリア陸軍に採用された)、そして動きの重いトリガーによって乗馬時の意図しない発射に対する安全が得られると考えられたのである。
1914年、フランスのメーカーFrancaise
d’Armes et Cycles de St. Etienneにおいて、ある6.35mmブローニング口径のセルフローディングピストルの生産が始まった。この銃はLa
Francaisと呼ばれた。この銃はいくつかの興味深い特徴を持っている。このストライカー発火機構はダブルアクションとしてのみ作動し得る(図2.11-24を見よ)。バレルは前部でフレームと関節結合され、この結果バレルはチャンバーごと装填のため上に向け傾斜させることができる。閉鎖スプリングはグリップフレーム内のマガジン前方に配置され、レバーを介してスライドに作用している(図2.10-3)。このLa
Francaisピストルは今日まだ製造されている(頑住吉注:信じがたいですがこの文章が書かれた1982年頃にはまだ生産されていたようです。いくらなんでも現在は生産されていないと思いますが)。1930年頃、口径9mmブローニングロング仕様の大型が陸軍のテスト用に作られた(頑住吉注: http://www.securityarms.com/20010315/galleryfiles/1300/1374.htm http://www.deactivated-guns.co.uk/detail/Le_Francais.htm )。
(図2.11-24 頑住吉注:後の章に出てくる図ですが、ここで説明します。1はバレル、2はフレーム、3はスライドで、8はスライド後部のいわば「栓」です。スライド内には5のファイアリングピンがあり、このファイアリングピンは比較的強力なスプリングで前方に押されていますが、トリガーによって前進を止められています。ファイアリングピン後部は「栓」後部の穴によって誘導され、「栓」はファイアリングピンスプリング後部も受けています。4のトリガーは6のトリガースプリングガイドに巻かれたトリガースプリングで前方に押されるとともにやや後端が上昇するようにも押されています。トリガーを引くとファイアリングピンはファイアリングピンスプリングを圧縮しながら右に動きます。トリガーを一定以上引くとトリガー後端が空色の丸で囲った斜面にぶつかり、やや下に引き下げられます。これによってファイアリングピンが解放され、急速に左に動いて発射となるわけです。トリガー後端はトリガーを引いている限り下降したままで、このままではフルオートになってしまいそうですが、実はファイアリングピンスプリングは短くてこの図以上ファイアリングピンを前進させる力はありません。ファイアリングピンは大きく右に引かれて放されたときだけ慣性でさらに左に動いてプライマーを突くようになっています。スライドが前進するときは前の比較的弱いファイアリングピンのリバウンドというかリターンスプリングによって後方に押されているのでプライマーを突いて発火させることはありません。‥‥という理屈ではありますけど、スライド前進も比較的高速であり、完全閉鎖時に慣性でファイアリングピンがプライマーを突くことになる可能性があると思われます。発火させるほどの力はないということなんでしょうが、あまり気持ちのいいシステムではありませんね。ちなみに、二式拳銃の「実銃について」で、ストライカー式にはファイアリングピンスプリング後端をフレームで受けるタイプとスライド内で受けるタイプがあるということを書きました。第二次大戦頃までは前者が主流でしたが、現在では後者が主流になっています。あるいはこの銃は後者の元祖ではとも思うんですがはっきりしません。)
(図2.10-3 頑住吉注:この銃のリコイルスプリングは非常に珍しいことにグリップ内、しかもマガジン前にあります。ちなみにやや似た形式でマガジン後ろにあるものとしてはルガーがあります。普通こういう配置を取るとグリップの前後が大きくなりすぎるはずですが、この銃もルガーもグリップ内にハンマースプリング等が入っていないので問題は生じていません。この図では当然片側しか見えていませんが、グリップ両側面に3のスプリングレバーがあります。ちょっと分かりにくい部分断面図ですが、1のスライド内にある2のカム部分がスプリングレバー上端前部と接しています。スライドが後退するとスプリングレバーは黄色の軸を中心に時計方向に回転させられます。これにより4のリコイルスプリングロッドがすくい上げられるように上昇し、リコイルスプリングが圧縮されるわけです。ウェブリーオートは似た形式ながらグリップ側面に板バネのリコイルスプリングを配置していました。またご存知のように一部のベレッタ製小型ピストルも似た形式を採用しています。ウェブリーを除き、この形式の利点はバレル後部を上にはね上げることにより、リコイルスプリングを圧縮しなくてもチャンバーへのロード、アンロードができることです。)
ダブルアクショントリガーと、各射撃後にコックされて留まる外装ハンマーを持つ初のポケットピストルは、1908年頃Alois
Tomischka(Tomischkaとは小さなトム、すなわちリトルトム)によって設計された。第一次大戦が生産開始を遅らせ、この結果1920年になって初めて、Camillo
FrankおよびTomischkaによって設立されたウィーン銃器工場でリトルトムと名付けられたこのピストルの生産が口径6.35および7.65mm仕様で開始できた。図1-82はこの銃を、図2.11-16はトリガーメカニズムを示している。我々はこの原理とすでに1835年頃、イーサン アレンのペッパーボックスの際に出会っている。Tomischkaは後に生産拠点をPilsen(頑住吉注:チェコの都市)に移し、彼はこの銃を1929年まで製造した。ひっくるめて40,000挺のリトルトムが生産された(頑住吉注:こんな名前をつけるもんだから検索しにくくてしょうがありません。 http://www.geocities.com/kirbytheog/czech/czbook.html )。
(図 2.11-16 頑住吉注:1はフレーム、2はハンマー、3はトリガーです。ハンマーには4のダブルアクションシアバーが回転可能に取り付けられ、板バネで下方へのテンションがかけられています。ダブルアクションシアバーには前後に3つのノッチがあります。後のノッチはコッキングのためのノッチです。b)のような状態からハンマーを手で起こすと、ダブルアクションシアバーは前進し、a)のような状態で5のレストにひっかかり、ハンマーをコック状態で止めます。ちなみにこのレストはフレームに固定されています。元の図にナンバーが振り忘れてあったので私も落としてしまいましたがトリガーには黄色のレバーがスプリングのテンションをかけて回転可能に取り付けられています。トリガーを引くとこのレバーがダブルアクションシアバーの第2のノッチ前を押し上げ、ハンマーがレットオフします。b)の状態からトリガーを引くとトリガー自身がダブルアクションシアバーをひっかけて前方に引っ張ることでハンマーが起きます。一定以上引くとレストの斜面によってダブルアクションシアバーが持ち上げられ、トリガーとのかみ合いが外れてハンマーがレットオフします。この本ではこのダブルアクションシステムがイーサン アレンのペッパーボックスのそれと非常に似ていると指摘されています。また、リトル トムの形式では長いダブルアクションシアバーがフレーム側面に削り加工された1段浅くなった面内で誘導されるため、汚れなどによって動きが悪くなりやすい欠点があるとも指摘されています。ちなみにa)の図ではトリガーがDA位置より後退していますが、この図からは通常のDAにおけるSAのようにハンマーを起こすことによってトリガーが後退する仕組みは読み取れません。図示されていない方法で後退するのか、ハンマーを起こしてもトリガーは動かず、a)は指でトリガーを引いてレットオフする手前を表現しただけなのかは不明です。)
同年、ワルサーは有名な警察ピストル(頑住吉注:PP)をマーケットに持ち込んだ(頑住吉注:リトル トムの生産終了とPPのデビューが同年であるということです)。すでに前の章でこの、そして他のワルサーによるDA/SAセルフローディングピストルに詳細に取り組んだので、ここでさらなる言及は不要である。
F.Myskaは1934年、口径6.35mm仕様のダブルアクションオンリーピストルを設計した。この銃は1936年にプラハのCeska
Zbrojovka A.S.によってマーケットに持ち込まれた。戦後この構造は単純化され、この銃(図1-83を見よ)は今回はモデル1945(Vz.1945)として再び生産された。同様にダブルアクションオンリーで作動する口径9mmクルツ仕様のミリタリーピストルVz.1938の設計もMyskaに由来している。この銃に関してはブルガリア陸軍によるテスト用としてDA/SAモデルも少数製造された(頑住吉注:両モデルの画像は前出のリトル トムの画像もあったページにあります)。
ワルサーピストルの成功はドイツ国内において諸大メーカーの設計作業への集中を導いた。1936年、モーゼルにおいてDA/SAピストルの開発が始まった。この銃は1938年にモデルHScとして口径7.65mmブローニング仕様でマーケットに現れた。銃身長は85mm、全長は160mm、重量は670g、マガジンは8発の弾薬を受け入れ可能である。この銃のハンマーはコッキングカムを備え、スリットをカバーし、ハンマーは事実上完全にこのスリット内で動く(頑住吉注:要するにM49ボディーガードのようにわずかな突起を除いて完全に埋没した独特のハンマーのことです)。HScの製造は1968年に再び始められたが、1979年には再び中止された。図1-84はこの信頼性が高く、命中精度の高いピストルを示している。
ザウエル&ゾーンは同様に1938年、DA/SAピストルであるモデル38Hをマーケットに持ち込んだ。この銃の場合ハンマーは内蔵されていた。だがこのハンマーを初弾の発射のためにコックできるようにするため、グリップフレーム左サイド、トリガーガード後方にコッキングレバーが存在する。このレバーを最初に下に圧するとハンマーがコックされる。このレバーをハンマーコック時に作動させると、ハンマーは危険なくデコックされる(頑住吉注: http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/sauer_sohn_38.gif )。
モーゼルのダブルアクションメカニズムはザウエルピストル同様トリガーに関節結合されたダブルアクションシアを使っている。我々はこれをマリエッテのペッパーボックス(1835年)で知っている。この図1-26で表現されたシステムは今日一般に普及している(頑住吉注:この図は「ペッパーボックス」の項目にあります。ただ個人的には「ダブルアクションシアがトリガーに付属している」点は同じでも、マリエッテのDAは他と非常に異なる点の多い異質なものだと思います)。
1930年代の始めにAugust Menzによって作られたピストルも同様にここで言及されるに値する。この銃はスペシャルモデルまたはモデルPB(警察および公用)の名で知られるようになった。この銃は外装ハンマーを持ち、このハンマーは普通の方法で(頑住吉注:シングルアクションで)、あるいは長いトリガー運動によってコックされ得た。後者の方法でコックすると、使用者はトリガーへの改めての引きによってハンマーをレットオフさせられるようになる前に、トリガーをいくらか前方に行かせる必要がある。このシステムは初弾の発射をわずかに遅くするが、より大きな射撃正確性を可能にする。この銃(Bergmannの名の下でも提供された)は1,000挺以下が製造された(頑住吉注:この銃に関しては全く知りませんでした。検索しても画像は見つかりません。ただ、アイバー ジョンソンが1936年に「トリガーコッキング」と称する同様のメカを持つリボルバーを発売しており、この銃からアイデアを得たものと思われます。要するにDAのような長いストロークでトリガーを引くとハンマーがコックされるがそのまま強く引ききっても倒れず、いったんトリガーを緩めてから改めて引くとシングルアクションの短いストロークで倒れるというものです。紐を一回引くと点灯し、もう一回引くと消灯する電灯のスイッチや、一回ノックすると芯が出て、もう一回ノックすると引っ込むボールペンみたいな感じだと思われます)。
DA/SAセルフローディングピストルの長所と成功は第二次大戦後、かなりの数の一連の銃器を生み出させた。これに関し一部は模倣品である。こうした新しい構造の中からここで有名なもののいくつかをまとめた。
概観表 いくつかのDA/SAピストル
メーカー | モデル名称 | 導入年 | 口径 | マガジンキャパシティ |
アストラ | A80 | 1981 | 9mmパラ .38スーパーオート 7.65mmパラ .45ACP |
15 15 15 9 |
ベレッタ | モデル81 モデル84 モデル92 |
1976 1976 1976 |
7.65mm 9mmクルツ 9mmパラ |
12 13 15 |
H&K | HK4 P9 |
1966 1970 |
.22lfb、6.35mm、7.65mm、9mmクルツが選択可能 9mmパラ |
9mmクルツのみ7、他は8 9 |
SIGザウエル | P220 P230 |
1976 1976 |
9mmパラ、7.65mmパラ、.45ACPがあり 9mmポリス、9mmクルツ、7.65mm、.22lfbがあり |
.45ACPは7、他は9 9mmは7、7.65mmは8、.22は10 |
S&W | モデル39 モデル59 |
1954 1973 |
9mmパラ 9mmパラ |
8 14 |
スター | 28DA | 1980 | 9mmパラ | 15 |
チェコの銃器工場Strakonitz | モデル50 モデル75 |
1950 1975 |
7.65mm 9mmパラ |
8 15 |
ワルサー | TPH PPスーパー P4 P5 |
1969 1974 1975 1979 |
.22lfb、6.35mm 9mmポリス 9mmパラ 9mmパラ |
6 7 8 8 |
(頑住吉注:すでに生産されていないものも多いどころか現存しないメーカーすらあり、時代を感じます)
1953年におけるDA/SAセルフローディングピストルPM(ピストレット マカロフ)によるワルシャワパクト陸軍の装備もここで言及するに値する。
いくつかのポピュラーなアメリカの雑誌では、シングルアクションセルフローディングピストルがロードされ、コックされ、セーフティをかけられて携帯されているときDA/SA銃に勝るかに関する見解は分かれている。これ(頑住吉注:SAが勝っているという考え)は個々の特殊な場合においては当たっているかもしれないが、すでにKaisertreuによって明確に理解されていたDA/SAセルフローディングピストルの普遍的な安全に関する大きな長所はこの判定によっては正しく評価されない。そしてアメリカにおいてもこうした銃(頑住吉注:DA/SA)の長所は明確に理解されている。このことは1907年における陸軍のテストと、1976年以来空軍で、そしてJoint Services Small Arms Programの枠内でテストされている銃との比較によって明らかになる。1907年に提示された7機種のセルフローディングピストルのうち1機種はダブルアクションオンリーとして作られていた(Knoble)。1976年〜1980年までにテストされた9機種のピストルのうち5機種はDA/SAシステムを持ち、1機種は外装ハンマーを伴うノーマルなシステム(頑住吉注:SA)を持ち、1機種はダブルアクションオンリーで作動し、1機種は複合システムを持ち、そしてこの最後の機種はトリガーへの圧力によって解除される安全機構を持っている。コンビネーションされたシステムを持つピストルへの道はここで確実に描写された。
最後の部分の論旨が分かりにくいので補足します。1900年代〜1910年代初期に行われた、結果的にコルトガバメントを生んだ米軍サイドアームトライアルではリボルバー、オートマチックリボルバーを含む多くの参加機種のうち7機種がオートピストルであり、うち1機種しかDAトリガーを持つものはなく、しかもこれはDAオンリーであってDA/SAではありませんでした。しかしベレッタM9を生むトライアルの前哨戦であった1978年における空軍主導の米軍サイドアームトライアルでは、参加9機種のうちベレッタのM92S-1、S&WのM459、コルトのSSP、FNのダブルアクションハイパワー、H&KのP9S、スターのM28と6機種がDA/SA、H&KのVP70がダブルアクションオンリー、FNのハイパワーが通常のSA、FNのファストアクションハイパワーが複合的な変則システムと、完全にDA/SAが主流になっていました(やや情報に食い違いがありますがここでは無視しましょう)。これはアメリカにおいても時の流れの中でDA/SAの優位が認識されてきた証拠であるというわけです。軍の要求に合致すると思われる機種をメーカーが選んで提出したからという理由もあるでしょうし、最近のガバメント系の人気再燃を見るとやや疑問も生じますが、言いたいことは分かります。
さて、片側がふさがった金属パイプに点火口と柄をつけただけの最も原始的な火器に始まったこの筆者によるハンドガン発達史は、DA/SAオートが主流となるに至った今回の記述により一応ここで一段落となります。1982年頃執筆されたものなので、プラスチックフレームやセーフアクション、トリガーセーフティなどグロックの影響によって生じた有力な流れについては当然言及がありません。それでも、「ヨーロッパでは古くから理解されていたDA/SAの優位にアメリカ人もやっと気づいたようだ」というような今回のトーンに象徴される、普段あまり触れる機会のないドイツ人的視点からのハンドガン発達史はなかなか興味深く、勉強になる点も多かったです。
これまで紹介してきたのはこの「Faustfeuerwaffen」という本の1/10程度を占める第1章に過ぎません。以後、第2章以後の内容を紹介していく予定です。