3.2 第一次大戦におけるドイツ陸軍のライフルグレネード

 1935年の「歩兵教育連隊の歴史とその基本陣形」の中で2人の著者、von Mulmann(頑住吉注:「u」はウムラウト)退役大佐とMohs退役中尉は次のように記述している。「防御された塹壕内における陣地戦でのよく遮蔽された敵を安全な状態にさせないため〜部隊はそれでもどのようにすれば敵に損害を与えることができるのかを思案した。開戦時、要塞戦のために工兵器具由来の2つの近接戦闘手段が使用できるものとして存在した。すなわちライフルグレネード球状ハンドグレネードである。前者はもみの木でできた栓のような形をした(頑住吉注:と言われても現代の日本人には分かりませんな)炸裂弾で、長さは約15cm、直径は5cmだった。これはその長い誘導棒を使ってライフルのマズルからバレル内に導入され、弾丸なしのライフル弾薬で発射された。命中確実性向上のため、使用者はこのライフルをこれに属する固定架台にネジ止めした。その効果は小さく、過早点火は頻繁で、それゆえ部隊はこの戦闘手段を拒否した。」

 ドイツ陸軍は1914年初頭、依然として戦争に有用なライフルグレネードを持っておらず、1914年8月における戦争勃発時、いろいろなモデルを使ったテストを終えていなかった、というのが事実である。問題は特に弾丸の取り扱い、散布(それは大きすぎた)、確実な点火において示された。だが軍事的事件はテスト、そして研究終了の大きな加速を強いた。夏の遅い時期には早くもラインメタル社のライフルグレネードがゲベールグラナーテ1913の名の下に採用に至った(後にはゲベールグラナーテ13と呼ばれた)。これは重量約900gで重量90gの硝酸アンモニウムからなる炸薬を持つ棒付きライフルグレネードだった。これは長さ179mm(射撃棒込みでは630mm)、直径は40mmだった。

 ライフルグレネード発射のためには特別な駆動弾薬筒があった。これは長さ56.5mmの真鍮製ケースで、3.75gの小さな葉状テスト砲火薬が充填されていた。この火薬は燃焼速度がより遅く、より強い押し動かし効果を示した。ライフルグレネード発射のためにはゲベール98を特別な射撃架台に接続しなければならなかった。フラットなベディング部、水平方向調節範囲を持つ台が付属した射撃架台15、および射撃架台16の採用が決定した。後者はパイプフレームとベディングプレートからなっていた。これは1916年に第2予備近衛連隊の補充大隊が発行した「戦時補充部隊訓練のための規則 1916」の中で次のように説明されている。「射撃架台を使ってゲベール98はライフルグレネード発射用に使用できる。射撃架台15はフットプレート、射撃台、ライフル保持具、角度弓からなっている。フットプレート中央には回転ピンがある。これをめぐって2枚のサークル状滑り円盤上の射撃台が回転する。固定は2つの挟みネジで行われる。ライフル保持具の仰角調節は角度弓上の指示針によって行われる。角度弓に設けられた目盛りはフットプレートが水平に位置している際の仰角の読み取りを可能にする。フットプレートは目的にかなった形でサイド方向には杭で、前方へは砂袋のウェイトでずれが防がれる。

 仰角45度の場合金属薄板製円盤なしのライフルグレネード13は350mの射程を達成した。短い距離に射撃可能にするためにはグレネード頭部に皿型の金属薄板製円盤が取り付けられた。これによりライフルグレネード13は同じ仰角の際もはや200mしか飛ばなかった。

 ライフルグレネード13の主要部品は鋳鉄製グレネード本体、ねじ込み信管、フラットな(後にはアーチ型の)金属薄板円盤(皿)、ガスパッキング付き誘導棒、銅製リングだった。誘導棒はシャープな(頑住吉注:演習用等ではない実物で爆発可能な)ライフルグレネード13の場合すでにねじ込まれていた。射撃準備状態の弾丸は最大限の注意をもって取り扱わねばならなかった。取り扱いの際にわずかな振動を与えただけで発射時の即座の発火という結果につながった。



(頑住吉注:非常に分かりやすいイギリス製ライフルグレネードの構造と違い、これはちょっと分かりにくいです。以下は文章、部品名称、図を合わせての推測です。ファイアリングピンのお尻には釘のようなものが付属しており、下端の直径が大きくなった部分の上昇は火薬粒が妨げています。発射時、射撃ストックがガス圧で強く押されると、先端の点火ピンが下のプライマーを突き、このスパークが火薬粒に点火します。一定時間経過してこの火薬粒が花火のように燃え尽きてしまうとファイアリングピンは上昇可能になります。この後で目標に命中すると慣性でファイアリングピンが上昇して上のプライマーを突き、爆発となります。発射前、不用意に衝撃を与えると下のプライマーが発火して安全装置が解除されてしまい、この状態では発射の衝撃でグレネードが爆発してしまうことになります。なお、先端近くに取り付けられた円盤は空気抵抗で飛距離を抑制するためのものです)

 ライフルグレネード13の早い時期の形状はほとんど円筒形で長方形の予定破壊部分を持っていた。より遅い時期のライフルグレネード13は空気力学的により好都合な形状とされた。すでに挙げたライフルグレネード13の欠点は、柔らかい地面、水、植物が生い茂った場所への着弾時の着発信管の不十分な敏感性に現れた。ライフルグレネード13のさらなる改良は不可避だった。この発展開発に重要な影響を与えたのはフリードリッヒ クルップ有限会社の花火技術部門の花火師Richard Machenbachだった。Machenbachはすでにハンドグレネードおよびライフルグレネードの設計経験を持っており、いくつかのパテントを持っていた。彼の知識および広範囲にわたる実験のおかげで着発信管に伴う問題の解決に成功した。この新ライフルグレネードも、必要とされる戦場で大量に使用された場合の取り扱い安全性が充分ではなかったが、新ライフルグレネードは採用され、ライフルグレネード1914(後にはライフルグレネード14)の名称を得た。主要部品は可鍛鋳鉄製グレネード本体、着発信管、金属薄板製円盤(皿)の付属した誘導棒だった。構造は前任モデルとは異なっていた。炸裂カプセルを持つ着発信管は重量15.5gの強化炸薬と結合されていた。グレネード本体の円筒形部分にはあらかじめ作られた長方形の弾片があった。アーチ状の金属薄板製円盤は盛り上がりを前に向けて底部に取り付けられ、そこは誘導棒の起点だった。ライフルグレネード14も特別な駆動弾薬筒を使って発射された。金属薄板製円盤付きでは射程は200mに達し、なしで仰角45度の場合、射程は320mになった。強い横風の際には横方向の偏差は15mまでになる可能性があった。重量は900gとされ、炸薬は70gのFullpulver02(頑住吉注:前の「u」はウムラウト TNT)だった。ライフルグレネード14は長さ139mmで(誘導棒込みでは595mm)、直径は45mmだった。ライフルグレネード13同様ライフルグレネード14も射撃架台14または15に設置したゲベール98でライフリングなしに発射できた。安全上の理由からトリガー設備は塹壕から操作できた(トリガー紐)。1射撃架台には操作のため2人の兵員が属した。射撃架台なしのライフルグレネードのフリーハンド発射は例外に属した。注意すべき点はまだあり、グレネード射撃に使用されたライフルは強い負荷にさらされた。この銃はもはや精度の高い射撃には向かなかった。

 

1=信管キャップ 2=スプリングの付属したファイアリングピン 3=スプリングの付属した針ボルト 4=安全球 5=安全リング 6=プライマー 7=炸裂カプセル 8=強化炸薬 9=炸薬 10=ブレーキ円盤 11=射撃ストック 12=革製パッキング
(頑住吉注:火薬が燃え尽きるとセーフティ解除されるという奇異な安全装置や慣性による点火方式が放棄され、着弾によって先端が打撃されたファイアリングピンの後端がプライマーを突いて発火させる方式になっているのは間違いありません。ただ球やリングを使った安全装置に関しては詳しい説明がないためよく分かりません。なお、文中ではブレーキ円盤を「盛り上がりを前に向けて」取り付けるとされていますが、図では逆になっており、遠距離では円盤なし、中距離では盛り上がりを前に向け、近距離では後ろに向けるという使い分けができたようです)

 問題のある実用性ゆえ、これら最初のドイツ製ライフルグレネードには厳しい安全規則が適用された。発射が予定されるライフルのバレルは常に塵や火薬の沈着を点検しなければならなかった。爆発可能とされ、射撃できなかったライフルグレネードは不発弾として扱い、その場で爆破しなくてはならなかった。

 訓練目的に練習ライフルグレネードも存在した。これは形状、重量(900g)は実物のライフルグレネード13および14と同じだったが、グレネード本体は一体でできており、練習弾薬では普通であるように赤く塗装されていた。

 前述の欠点ゆえにライフルグレネード13および14は部隊において特別には好まれなかった。それらは技術者委員会から1918年に発行された「戦争の経過において野戦に登場した近接戦闘手段、炸裂手段、点火手段、照明手段、信号手段の一覧」によれば旧式化した、戦争に使用できない弾薬に格付けされ、取りのけられられた。実物のライフルグレネードは未使用のまま本国に輸送され、練習ライフルグレネードとライフルグレネード用の射撃架台は前線に残され、廃品として再利用された。

 さらなるライフルグレネードである重量750gの球状ハンドグレネード13は応急的な性格しか持たなかった。このグレネードは3本アームの保持具と長さ280mmの誘導棒を使ってゲベール98から発射できた。このためライフルには特殊な駆動弾薬筒がロードされた。仰角30〜50度の際、射程は125〜192mになった。燃焼信管は発射時に紐とカラビナフックによって引き抜かれた(頑住吉注:紐を引き抜くと摩擦で点火し、数秒の遅延を経て爆発するハンドグレネードに応急的に棒をつけてライフルグレネードにしたものです。点火用の紐に長い紐をつないでこれを銃に固定して発射すると、発射の際自動的に紐が引き抜かれて発火しました)。

 グレネード投射機(頑住吉注:通常この語は迫撃砲を指しますが、 http://www.kaisersbunker.com/feldgrau/equipment/fge17.htm このように現在の迫撃砲とは異なるものです)の採用後(これにはモデル15と16があった)、ライフルグレネードのさらなる使用には重大な疑問が提示された。この小型投射機は重量2000gを達成し、翼によって安定される投射グレネードは300mまでの遠距離に射撃された。この助けにより、従来ライフルグレネードが使用されていた任務は決定的により効果的に満たすことができた。それでも歩兵用ライフルグレネードは以後もなお必要と考えられた。しかしこの弾薬に要求される成績と取り扱い時の安全性は、敏感な誘導棒を放棄した場合にのみ達成され得た。新しいライフルグレネードの開発はベルリンの会社Fritz Kraushaarが担当した。同社は1915年1月17日に弾丸の通り抜け穴を持つライフルグレネードのパテントを取得していた。このグレネードはゲベール98のマズルにマウントされる臼砲様の射撃カップから発射された。このカップはライフルのマズルに向けて径が絞られていた。ライフルグレネードを発射可能にするためには尖頭弾を持つ通常のライフル弾薬で足りた。この弾丸はライフルグレネード内部にある円筒形に作られた口径の太さの通り抜け穴を通過し、その際プライマーに点火した(これでライフルグレネードは爆発可能となった)。後から流れる火薬ガスはグレネード底部に激突し、これを射撃カップから投射した。当然ガス気密の問題が起き、このため発展開発品が研究された。この結果は2つのさらなるパテントとなって現れた。1915年7月13日のパテントナンバー303260はソフトなマテリアル(パルプ、ロウ、鉛)による弾丸通り抜け穴の閉塞を内容とした。1916年12月31日におけるパテントナンバー303247はこれを使ってガス気密性が保証され得る特別な誘導翼に関係していた。これに対しさらなるベストの経験は軽くテーパーのかけられた弾丸通り抜け穴の際にもたらされた。これがその後大量生産のために採用された(頑住吉注:これはたぶん先細りになった穴内で弾丸が停止する、いわゆるブレットトラップ式でしょう)。



1=雌ネジ 2=パッキング 3=上部カバー 4=閉鎖ネジ 5=信管チャンバー 6=プライマー 7=信管小パイプ 8=紙製円盤 9=グリップ面 10=信管ケース 11=炸裂カプセル 12=グレネード本体 13=弾丸通り抜け穴 14=膨張スペース 15=差し込みパイプ 16=ライフルのバレル 17=固定金具
(頑住吉注:左下には「これに属す射撃カップが付属したライフルグレネード17」とあります。これは着発信管を備えていた前の2タイプとは異なり、発射時に弾丸の通り抜け穴を弾丸が通過する際にプライマーが打撃されて発火、遅延を経て炸薬に点火するというものです。着発信管とは異なり、どんなに柔らかいものに命中しても時間が来れば炸裂する、長い誘導棒がないので収納や取り扱いに便利であるなどの長所がありますが、落下した時点でまだ炸裂しない場合、敵に身を隠す余裕を与えてしまう可能性があり、これを避けるため遅延時間を短くすれば長射程では着弾前に炸裂してしまう可能性が生じるなどの問題もあります。)

 このライフルグレネードおよび射撃カップは1917年末に制式採用された。これはライフルグレネード17の名称を得た。ライフルグレネード17用射撃カップの主要部品は円筒形に作られたカップ、ライフルの銃身にかぶせるパイプ、固定金具だった。この射撃カップには全部で3つの型があった。弾丸通り抜け穴の直径は当初8.55mmだった。問題ない7.92mm尖頭弾侵入のための充分な公差を保証する目的で、1918年秋にメーカーの工場から出荷されるライフルグレネード用には直径9mmの弾丸通り抜け穴が取り決められた。この瓶型ライフルグレネードは重量450gで、本来は可鍛鋳鉄で作られる予定だった。素材不足は通常のねずみ鋳鉄の使用を強い、このことは発射薬のガス圧による発射時の過早炸裂、着弾時の過早炸裂を結果としてもたらした。この事態は深刻だったので、国防省は1918年7月初めにこのライフルグレネード製造を本来予定されていたように可鍛鋳鉄に切り替えることを決定した。可鍛鋳鉄製弾丸は上部カバーと底部に大きく「T」と表示され、周囲を取り巻く緑色の帯でマーキングされた。炸薬の重量は36gとされる。点火設備は特別にコストのかかるもので、これは遅延装置が付属したプライマーと炸裂カプセルからなっていた。炸裂カプセルは弾丸通り抜け穴の周りにリング状に配置された炸薬内に突き出ていた。遅延時間は5〜8秒だった。直径60mmのライフルグレネード17の射程は約200mになった。1917年初め以後は尖頭弾薬の発射薬減少(3.20gから3.05gへ)により、もはや150〜170mしか届かなかった。この欠点を正すためにベルリンに所在するKrauschaarの企業はいろいろな構造的改良に向け努力した。だがそれらは大量生産のためには複雑すぎ、取り扱いが安全でなかった。実験においてすでに過早炸裂があった。補助発射薬を使っての実験は射程380mをもたらしたが、この場合縦方向の散布がもはや受け入れ不能だった。

 ライフルグレネード17の練習モデルはいくらか変更された形状によって目立ち、また赤色の塗装でマーキングされていた。

 ゲベール98およびライフルグレネード17用射撃カップの採用により、ドイツ陸軍は再び戦争に有用なこの種の弾薬を手にした。これにより遮蔽物の背後、およびハンドグレネードを使う距離より遠いターゲットとの戦闘が可能になった。しかし近接戦闘のためのライフルグレネードの重要性はハンドグレネードほどには達しなかった。1917年1月1日における「全ての兵器のための陣地戦向け指示の合併号 第3部 近接戦闘手段」内ではライフルグレネードの使用が次のように記述されている。「ライフルグレネードはその低い命中能力(風など)の際には決定的効果達成のためよりも敵を動揺させることに役立つ。その効果は側面攻撃への使用、死角からの射撃、広範囲への大量掃射などの際に最大となって現れる。敵がかわすことを妨げるためには多くのライフルの密集した使用が推奨される。ライフルグレネード射撃は目的にかなった形でいろいろな位置からの歩兵銃射撃と結び付けられる。敵による発射位置発見を困難にするためである。

 ライフルグレネード17をもって初めて歩兵はフランスのライフルグレネードと対等の攻撃兵器を手にした。フランスのライフルグレネード部隊は150mの距離から直接および非直接射撃を行い、それまでこれを使った一斉射撃により、特に砲弾によるじょうご状の穴がたくさん開いた土地における戦闘時に敵はしばしばより厄介な、優勢な存在となっていた。

 イギリス軍にあったようなグレネードピストルはドイツサイドには第一次大戦中存在しなかった。1918年1月における「野戦での戦争の経過における近接戦闘手段、炸裂手段、点火手段、照明手段、信号手段の一覧」の中には戦争に有用な新しい器具とこれに属するグレネード速射砲の実弾に関する言及が見られる。これはキャリングハンドル付きの四角いフレームと速射グレネード発射用の6つの穴ぐりからなっていた。さらにベディングプレートには8本のスパイクと調整用輪付きフレームスライダーが属していた。速射グレネードは着発信管が付属した円筒形のグレネード本体と、ここにねじ込まれた、またはフランジをつけられたカートリッジからなっていた。それ以上の記述はない。

 さらなる歩兵用補助兵器は前述のグレネード投射機15および16プリースト投射器)に関するもので、これ用にいろいろな翼で安定させられる投射グレネードが存在した。これを使って300mまでの射程が達成可能だった。射程と効果上、これらは迫撃砲の仲間に分類しなければならない。近接戦闘手段に関するこの著作の枠組内ではこれらはより詳しく記述されない。


 ライフルグレネードは、ライフルの銃身内に棒を挿入して発射するもの、ライフルのマズルにかぶせて発射するもの、ライフルのマズルに大口径の発射機を装着するものに大別され、さらに着発信管付きのものと遅延信管付きのもの、空砲で発射するものとブレットトラップ式のものなどに分かれます。こうしたものはより発展した形で第二次大戦にも使用されます。

 グレネードピストルと言えばカンプピストルが頭に浮かびますが、第一次大戦時にイギリス軍がすでにその種のものを使用し、一方ドイツは持っていなかったとされています。イギリス軍のグレネードのピストルについて検索してみましたが、情報が見つかりませんでした。ご存知の方は教えてください。

 






戻るボタン