1.5 フリントロック(頑住吉注:「Steinschloss」。「Stein」は英語のストーン、つまり石)
 ホイールロックの場合摩擦面が動き、そしてストーン(黄鉄鉱)は固定されている。次の発展ステップはこれを逆転させた。すなわち、摩擦面は(ほとんど)固定され、ストーンが動く。最初の文書によるフリントロックの証拠としてはフローレンス由来のものとスウェーデン由来のものがある(1547年)。フリントロックの最初の形であるスナップハンスロック(頑住吉注:「Schnapphahnschloss」)の得られているうち最古のサンプルは、同様にスウェーデン由来である。その製造はかなりの確かさを持って1556年と決定できる。

 フリントロックの機能を、(フランスの)バッテリーロックの例で解説しよう。図1-9は発火機構の内部を示している。ハンマー(2)は発火機構薄板(1)上に1本の回転軸によって回転可能に取り付けられている。この回転軸は内部で「Nuss」(7 頑住吉注:英語のナッツにあたる語です)を担っている。このNussには2つのノッチ(コッキングノッチとセーフティコックノッチ)が備えられている。ハンマースプリング(3)はNussの切込みに作用している。コックパーツ(8)はコックパーツスプリング(9)によってNussに押し付けられている。ハンマーの作動のためには、(示されていない)トリガーによってコックパーツの右のアームに下から圧力をかける。するとハンマーは左へと落ち、この結果ストーン(10)がバッテリーの「火鉄」(5)に当たり、そしてこれを持ち上げる。この際火花は火皿(6)内の火薬上に落ち、点火する。フランスのフリントロックの場合、他のバッテリーロック同様火皿カバー(4)と火鉄がバッテリーとして統合されている。


図1-9
 フランスのフリントロック。(1)発火機構薄板 (2)ハンマー (3)ハンマースプリング バッテリーとして統合された火皿カバーが(4) 同じく火鉄(5) (6)火皿 (7)Nuss (8)コックパーツ(バー) (9)コックパーツスプリング (10)ファイアーストーン
(頑住吉注:図の奥が外部です。ハンマーの頭はネジを締めることで火打石をはさんで締め付け、固定できるようになっています。このハンマーの回転軸は発火機構薄板を貫通して手前、すなわち内部に伸び、先端部は四角形になってここに「Nuss」がはまっています。「Nuss」は現代の銃には見られないパーツであり、どう訳していいのか分からないのでこのままにしておきます。ハンマー軸先端の四角い部分がNussの四角い穴にはまっているので、両者は一体で動きます。要するにNussは現代の銃のハンマーにある、シアとはまるノッチ部が独立しただけのものです。現代の銃と違ってハンマーが機関部の外部に出ているからNussが必要になるわけです。Nussには板バネのメインスプリングのテンションがかかってハンマーを反時計方向に回転させようとしており、直訳で「コックパーツ」としていますが要するにシアである8がこれを止めています。トリガーを引くとシアが押されて反時計方向に回転し、ハンマーをレットオフするわけで、このあたりはホイールロックより現代の銃に近くて理解しやすいはずです。ハンマーが倒れると火打石が5に当たり、これを跳ね上げて火皿をオープンするとともにこの動きで摩擦を増大します。散った火花が火皿内の点火薬に点火し、これが点火穴を通じてチャンバー内の黒色火薬に引火、発射となるわけです)

 図1-10はいわゆる「Hakenschloss−Pistol」(英語ではdog-lock pistol 頑住吉注:ドイツ語を英語に直訳すればフックロックですが、実際の英語ではドッグロックと呼ばれているわけです)を示している。この銃は特殊性としてハンマー後方に、コックされたハンマーをホールドするセーフティフックを示している。この銃を発射準備状態にするには、セーフティフックを後方に引く。Hakenschloss−Pistolは主にイギリスで製造された。その全盛期は17世紀に訪れた。

図1-10

 フリントロックはそのいろいろな発展ステップに応じてグループ分けすることができる。最も単純な分類は2つのタイプに分ける。それは我々がここで短く述べたい2タイプである。

1.Schnappschloss(Schnapphahnschloss、Steinschnappschloss 頑住吉注:括弧内は別名。いわゆるスナップハンスロック)は最古のフリントロックであり、その起源は16世紀の2番目の1/4(頑住吉注:要するに1525〜1550年頃)にあるらしい。当初火鉄と火皿カバーは分かれた構造要素だった。射撃前には火皿カバーを手で開かなくてはならなかった。

 イタリアとスペインのスナップハンスロックでは、火皿カバーと火鉄がすでに非常に早くからバッテリーとして統合されていた。この発火機構はBatterie(Miquelet)Schlossと呼ばれる(頑住吉注:英語に直訳すればバッテリーロック。括弧内は別名です。)。この形式ではハンマースプリングは発火機構の外側に位置していた。

 バッテリーはより大きな射撃準備性という長所を提供した。射手は装填済みの銃を、さらにハンマーをコックするだけで射撃準備状態にできた。ハンマーが落ちることによって初めて点火薬上の火皿カバーが開いた。

 スナップハンスロックに特徴的なのは、ハンマーがコック位置に保持されるメカニズムである。ホイールロックではコックされたホイールの回転が妨げられていたが、スナップハンスロックでも同様の方法で、ハンマーがコックパーツ(バー)によって保持された。このコックパーツは垂直の回転軸上で回転可能であり、発火機構薄板に支えられているレバー(歯)によってハンマーをその前方の足状部分で支えている。セーフティノッチは他の多くの構造と似た方法で形成されているが、トリガーメカニズムとは分かれて存在する特別なセーフティがある。

2.フランスのフリントロックは最高度に発展したフリントロックの形である。特徴的なのは、回転軸上のハンマーに固定して結合された内蔵Nussである。これにはコッキングノッチとセーフティノッチが備えられており、メインスプリングが作用している。コックパーツ(バー)は水平の軸上で回転可能である。

 我々はこの発火機構の発生に関し、フランスのライフル工Marin le Bourgeoysのお陰をこうむっているらしい。彼は17世紀初頭の人である。その開発は1650〜1660年の時代にStudelの導入によって完結した。Studelは、発火装置薄板と平行な構成要素であり、1〜3本のネジで固定され、その内部にはNussが位置し、そしてその穴には延長されたハンマー・Nuss回転軸が入っていた。このStudelによってNuss誘導の精度が向上し、そして発火機構の耐久性と信頼性が決定的に改良された(頑住吉注:説明が簡単すぎてよく分からんのですが、こういうことでしょう。「それまでのフリントロックでは木製ストックの側面に『発火機構薄板』を固定し、その外部にハンマー、内部にNussが設置されていたが、この新しい形式では『発火機構薄板』と少し離れた位置にStudelと呼ばれるもう一枚の板を内蔵し、ハンマー軸をそこまで延ばして貫通させた。Nussは2枚の板の間に位置している。軸が片側の薄板のみで保持される旧システムよりも、軸が両側で保持されるこのシステムの方が作動精度、耐久性が高かった。」 九四式拳銃のセーフティの軸がフレームを貫通しておらず、片側の壁だけで保持されていたために問題が生じたケースと似た問題です)。18世紀半ば、イギリスにおいてフリントロックはさらに簡略化された。発火機構部品はもはや1枚の発火機構薄板上ではなく、機関部(ケース)の開けておいた部分にマウントされた。これにより、一方ではハンマーおよびNussが、そして他方ではバーおよびトリガーが、それぞれ一体のパーツとして作ることができた。その上今やメインスプリングはハンマーにダイレクトに作用していた。この構造の特徴を、我々は後にリボルバー群同様デリンジャー、Terzerolen(頑住吉注:辞書には「小型ピストル」と出ていますが、デリンジャーとの違いなど正確な定義は不明です)、いくつかのターゲットピストルのようなシンプルなカートリッジ式ピストルに見出す(頑住吉注: http://www.setocut.co.jp/denix02.html これはデニックス製レプリカの商品紹介ページですが、237/G、237/L、240/Gあたりがそれっぽいです。要するにそれまでは木製ストック側面に薄板を取り付け、その外側にハンマーを設けていたのに対し、金属製機関部内にハンマーとトリガーを収容し、トリガーとハンマーを直接コンタクトさせたのでNussやシアが不要になったということです。さらに、板バネのメインスプリングは他のパーツを介さずに直接ハンマーとコンタクトしていました。この形式はアイバージョンソンの多くのリボルバーや、コルトN0.3デリンジャーなどと共通しています)。

 この簡略化されたフリントロックは、まず第一にねじ込みバレルピストル(旅行ピストル)に使われたのが見いだされる。この種の銃では装填のためバレルを銃からねじって外すことができた。


(頑住吉注:簡略化して示すとこんな感じです。緑色がチャンバーで、青がバレル、黄色が発射薬でグレーが弾丸です。チャンバーとバレルは赤で示したネジで結合されています。バレルをねじって外し、銃口側を上にして立てたチャンバーに発射薬を流し込み、弾丸を乗せ、バレルをねじ込みます。この方式はリボルバーを除き、メタリックカートリッジ登場以前に成功した唯一の後装システムとされています。ちなみにペッパーボックスの代表機種のうちイーサン・アレンのそれは純前装システムであり、マリエッテのそれはこのねじ込みバレル式後装システムでした)

 ねじ込みバレルピストルは装填の際より多い作業を要求した。しかしその際弾丸をバレルを通して押し込まなくてもよいという長所を提供した。このため使用者は、火薬ガスの圧力によって初めてバレル内に適合する、いくらか大きな弾丸を使用できた。これには2つの長所があった。すなわち、前から装填された弾丸ではそうならないほど、圧縮抵抗に打ち勝つためのバレル内の圧力が上がったのである。このことは、当時まだ非常に良好なものではなかった火薬のエネルギーの使用効率を改善し、つまり銃の弾道学的成績を向上させた。特に、弾丸のバレル内へのタイトなフィットは命中精度を向上させた。ことにそのバレルが施条されていた場合にはである。ねじ込みバレルピストルを使っていかに正確に射撃できたかに関し、例えとして以下のできごとを引用する。

 1642年9月13日、イギリスの王党派軍はStaffordに宿営していた(頑住吉注:この年はピューリタン革命で内乱が始まった年です)。この部隊にいたプリンスRupertは、ねじ込みバレルピストルで聖母教会の塔の上にある風見鶏に向かって1発撃った。この際プリンスは塔から約60歩離れた庭に立っていた。弾丸は風見鶏の尾を貫通した。プリンスのおじであるチャールズ王(頑住吉注:1世。ちなみにこの人は1649年に処刑されてます)はこの射撃を見守っており、この命中弾はたまたまに過ぎないと思われると解説した。そこでRupertはすぐに彼の第2のピストルを使ってもう1回風見鶏を打ち抜いた。(J.N.George、「English Pistol and Revolvers」、1961年ロンドン発行による 頑住吉注:引用の趣旨と関係ありませんけど、教会の風見鶏をピストルで撃つプリンス、それを見物している王、命中したのを見て「さすがプリンス、彼にかかれば遠くの敵でも一撃だ」と褒めれば士気向上になるものを「まぐれだろ」と皆に言う王、素直に引き下がって王を立て、後で2人だけのときそうではないことを示せばいいものを、現在戦争を指揮している王の言葉が間違いであることを皆の前で実証して恥をかかせるプリンス‥‥イギリスの王族にはちょっとアレな人が多いとよく言われますけど、この頃からそうだったようですな)

 これまでに論評してきた全ての発火機構同様、フリントロックも信頼性に欠け、天候に左右された。強風の際は火花が吹き流され、雨天の際は点火薬が湿った。両方のケースにおいて発火は起こらなかった。その上点火の経路は空間的、そして時間的に実に長く、そして必ずしも点火薬による火は発射薬に到達しなかった。1704年、ニュールンベルグのGottfried Hantzschは、点火をより確実にする円錐形の点火口を発明した。さらなる困難はハンマースプリングとバッテリースプリングの同調にあった。バッテリーはハンマーに充分な抵抗を提供しなくてはならない。これにより火花が出るのである。他方ではハンマーは火花のための経路を開放するために火皿をタイミングよく開かなくてはならない。まだ低い冶金工学的可能性ではこれは簡単な課題ではなかった。火鉄とストーンは実に速く使いつぶされ、品質のよいストーンでも50発以上は持たなかった。1810年でもまだ良好な天候において平均8発に1発の不発が生じた。


 日本では鎖国政策のため火縄式の時代が幕末近くまで続き、いきなりメタリックカートリッジ式に移行したので、フリントロック式はあまりなじみがありません。時代劇ではよく火打石が登場し、それの使用が試みられても不思議はなかったはずですが、フリントロック式に使われる石には非常に良質のものが要求され、日本産のものではうまくいかなかったようです。その点火縄式は不便な点は多いものの着火の確実性は勝っています。

 フリントロックを分類する際、「火鉄」と「火皿カバー」が別になっており、後者を手で開かなくてはならないものと、両者が統合されているものの2つに分けることが多いようで、しかも前者をスナップハンスであるとする解説もありますが、この著者は両者が統合されたものの一部もスナップハンスに含め、トリガーメカの機械的特徴で分類しています。すなわち、前回出てきたホイールロック式に似た垂直の軸を持つシアに当たるパーツでハンマーを保持するのがスナップハンス、現在の多くの銃のようにシアに当たるパーツが水平の軸を持つのがもうひとつのグループであるというわけです。後者にはグループの名称が与えられていません。これがどの程度妥当で、一般的な分類法なのかは私には分かりません。





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