実銃について


左からオーソドックスなコルトガバメントシリーズ70、M1900、最新のハイキャパシティサブコンパクトモデル


 おそらくコルトM1911系は20世紀で最も成功したハンドガンと言えるだろうし、現在でもさまざまな発展型を生み続けている。最近になってS&W、SIGザウエルなどのライバルメーカーがコピー品を発売したことが示すように、M1911系の商業的成功は現在でも無視し得ないどころか人気が再燃しつつあるとさえ見える。今後もこれ以上成功したハンドガンデザインが誕生する可能性は低いのではないだろうか。ここでは近代以後最大の銃器設計者である天才ジョン ブローニングが、どのような経緯でこの歴史的傑作銃M1911の原型となるコルトM1900を誕生させたのか、そしてどのようにM1911への道を歩みだすのかについて見て行きたい。

コルトとブローニングの出会い
 特に晩年においてブローニングと最も密接な関係にあった銃器メーカーはベルギーのFNである。今回のテーマであるコルトM1900と同時期に設計されたFNのM1900ピストルは、FN初のオートピストルであるとともに、実際には1899年に製造が始まっていたため初の量産されたブローニング設計によるオートピストルでもある。1909年までにコルトM1900とは比較にならない500,000挺という多数が製造され、ベルギー陸軍にも採用された。この点だけ見ればFNのM1900ピストルはコルトM1900よりはるかにメジャーであるが、後の銃器発達史に与えた影響度から見れば明らかにコルトM1900の方が勝っている。

 M1900は初のコルト製量産オートピストルであり、初のアメリカ製本格オートピストルでもある。この銃の発売後もコルトとブローニングは密接な関係を継続し、発展型のM1911によって米軍制式拳銃の座を勝ち取り、1980年代までそれを守った。アメリカとはイデオロギー的に相容れないソ連のトカレフも含め、この系列に影響を受けたピストルは数知れないし、戦後の日本のようにM1911系を制式とした国も多数に上る。失敗に終わったオールアメリカン2000など少数の例外を除き、現在に至るまでコルトのオートピストルはブローニングの原設計によるか、少なくとも「ブローニング系」のデザインであると言える。こうしたブローニングの設計に比較できるほど現在のオートピストルに影響を与えたものとしては、わずかにワルサーPPシリーズ、グロックシリーズくらいしか思い当たらない。

 コルトと出会う前、ブローニングはすでにウィンチェスター製レバーアクションライフルの設計などによって有名な存在になっていた。彼が自動銃を作るという着想に至ったのは、散弾銃のマズルの前の草が吹き動かされるのを見て、この力が何かに使えないかと考えたことがきっかけとされている。一般に自動銃というものは最も単純な設計をすればフルオートで作動するものであり、セミオートはそれに制約をかけることによって実現する。初めてのブローニングによる実用的な自動銃もマシンガンであり、彼はすでに1890年においてこの銃をもってコルトに働きかけを行っている。これがコルト初のブローニング設計による銃器に発展し、1895年にアメリカ海軍に採用され、1898年には米西戦争で使用された。

 ただしブローニングは史上もっとも早くオートピストルを世に出した人物の1人とは言えない。ハンドガン自動化への試みは1800年代前半から存在したが、史上初めて量産され、成功したオートピストルとされるのはドイツのヒューゴ ボーチャードによるピストルであり、1893年には製造が開始されている。また1894年にはオーストリアのマンリッヒャーが設計したブローフォワード式オートピストルの生産が開始されている。オートピストルが誕生した頃、これがリボルバーに取って代わる存在になりうるのかどうかを予測することは難しかったはずだが、おそらくこの分野に参入しておかないと流れに取り残される危険がある、程度の認識はコルトにもあったらしい。1890年代の早い時期においてすでにコルトではオートピストルの研究が始まっており、設計者Carl J. Ehbetsは1894年10月29日、オートピストルに関する最初のパテントを申請した(1896年10月27日にU.S.パテント 570,388として認められた)。この銃は当時のコルト製リボルバーに似たグリップ、ガスオペレーションメカニズム、ベルグマンスタイルの装填メカニズムを持ち、リムドのリボルバーカートリッジを発射した。Ehbetsの第2のオートピストル(1896年、U.S.パテント 580,935)はブローフォワードモデルで、前述のマンリッヒャーピストルの亜流だった。今日の目で見て前者はブローニングはおろかボーチャードやマンリッヒャーの設計と比べてすら中途半端で古臭く、後者もその時点において先進的な設計とはとうてい言えないものだった。それでもそれしか選択肢がなかったらコルトはこれらの銃、あるいは後者のみを発展させて量産したかも知れず、その場合これがアメリカ初の量産オートピストルになっていたはずだが、そうはならなかった。コルトの経営陣により、1897年4月20日にブローニングが取得した4種のパテントに示されたデザインの方が社内の設計者のデザインより優れていると(全く正しく)判断されたからである。これらのデザインのうち2つはFNとコルトの両M1900ピストルに発展していくことになる。なお、他の2つはバレル途中に穴を開け、ガス圧でロックを解除する形式のものと、回転バレルを持つもので、いずれも量産には至らなかった。この1897年4月20日のパテント段階では、コルトM1900の原型はまだベレッタM1934に似た露出式のエキストラクターを真上に備え、真上に排莢する形式だった。また、トリガーは後のようにストレート後退式、トリガーバーと一体ではなく、上部にヒンジピンを持つ回転式で、トリガーを引くと下部がストレート後退式のトリガーバーを後方に押す形式だった。また、リアサイトと一体のセーフティはまだなかった。

 コルトM1900の原型は1896年6月29日にコルトで試射され、約1ヵ月後の1896年7月24日にはコルトがブローニングのピストルを製造し、アメリカ、イギリス、アイルランドで販売することを許す契約が結ばれた。なお、当時まだブローニングは後に決裂するウィンチェスターとの密接な関係を保っていた。1902年における決裂の理由はそれまでの設計自体を買い取るという方式に換えてブローニングが売り上げの一部を要求したからだったが、コルトとの契約は1挺あたりいくら(当時は1挺あたり1ドル)というブローニングの望んだ形だった。ある意味では新たな関係を築いたコルトとの商売のうまみが、1883年に初めてブローニングの才能に着目して契約を結んだ、最も古くからのパートナーであったウィンチェスターとの破局をもたらしたと言えるのかもしれない。ちなみにブローニングは翌1897年7月7日、FNにベルギー、フランス、ドイツ、オーストリア-ハンガリー、スペイン等におけるライセンスを与えた。日本も含め、コルト、FNのどちらのテリトリーでもない国々は両社に解放されていた。

コルトM1900ピストルの特徴
 コルトM1900ピストルは詳細に見ていけば現代の銃と異なる点が多いが、試行錯誤期にあった当時のオートピストル群と比較すれば(FNのM1900と比べてすら)現代のピストルと構造的な共通点が多いことに驚かされる。特にトリガー、シア、ディスコネクター、ハンマーの関係は現在のM1911系とほとんど変わっておらず、ブローニングのデザインがほとんど改良の余地のない、完成度の高いものであったことを示している。

 また、この銃において最も画期的だったと思われるのは「バレル後部が後退、下降してスライドとのかみ合わせが解除される」ショートリコイルシステムである。2リンクが1リンクとなり、さらにリンクを持たないブロックタイプが多数派となり、そして独立したロッキングラグ、リセスがなくチャンバーがエジェクションポート内にはまることでロックが行われる形式が多数派となった現在でも「バレル後部が後退、下降してスライドとのかみ合わせが解除される」ことには全く変化がない。

 前述のコルト社内技術者による試作銃はブラックパウダーのリボルバー用リムドカートを使用したが、M1900に始まるブローニング設計のコルト製量産オートピストルは初めから無煙火薬をロードしたオート用リムレスカートリッジを使用した。当時においてこの弾薬の性能(初速、貫通力)は傑出したものだったし、一般にリボルバーより命中精度も高かった。M1900に使用された弾薬は.38コルトオートマチックなどと呼ばれるもので、薬莢の寸法は現在の.38スーパーACPと同一であり、単に弱装なだけの弾薬だった。「知識の断片」で紹介している「Faustfeuerwaffen」の記述によれば「これ(.38コルトオートマチックから.38スーパーACPへの移行)は本当は単なる名称変更だった。というのは.38コルトオートマチックにはすでに早くから後のスーパーオートマチックに似た強いロードがなされていたからである」とあるが、M1900発売当時のこの弾薬のパワーはおおよそ現在の9mmパラベラム程度であり、骨董品であるこの銃から現在の.38スーパーACPを発射することは危険なので止めるべきとされている。

 M1900は前後にリンクを持ち、バレルがティルトせず後下方に平行移動する独特のショートリコイルシステムを持っている。このシステムは後述のように製品としては.45口径のM1905ミリタリーと呼ばれるモデルにまで引き継がれ、その後アメリカ陸軍のハンドガントライアルの中で現在のものに近い単一リンクに改良されていった。筆者はこの改良の理由を軍用モデルに強く求められるシンプル化、コストダウンのためであろうと想像していたが、実際には耐久性の向上が主眼だった。2リンクシステムでは前後2本のピンを叩き出さなければバレルを取り出すことができず不便だし、強度上のウィークポイントであるリンクの破損可能性が倍増するとともにパーツ数、コストも上がるので、疑いの余地なく実用銃としては現在の単一リンクの方が優れている。しかし、今回このシステムをモデルアップしてみて、このシステムが果たして全く価値を失ったのだろうかという疑問を抱いた。2リンクシステムでは単一リンクシステムより明らかにバレル(特にマズル)が強固に保持できると思われる。工作精度良く作れば、閉鎖時にバレル全体がほとんどガタなく保持できるはずだ。この際スライドとフレームのかみ合わせは必ずしも究極的にタイトである必要がない。スライド上にサイトがある場合は別だが、フレームにマウントを取りつけてダットサイトを乗せるマッチガンの場合、あるいは2リンクシステムの方が命中精度の高いものが作りやすいのではないだろうか。

 話が脱線したが、バレルが簡単に取り外せない2リンクシステムのため、オートピストルにおいて最多数派であるスライドを前方にストレートに抜くという方法は使い難くなった。2番目にポピュラーな方法であるスライドを引いて後部を持ち上げる方法も前部リンクのため使い難い(言うまでもないがこれらの方法が一般的になったのは後年のことである。ちなみにFNのM1900はスライド自体はストレートに前方に抜くが、ブリーチブロックは分離して取り残されるというやや九四式に似た形式になっている)。そこでブローニングは通常のようにスライド自体にリコイルスプリング前部を抑える機能を持たせず、銃の前部を左右に貫通する「かんぬき」状のスライドロックにこの機能を持たせた。このスライドロックはフレームのスリットの中にはまっていて一定以上後方には動けず、スライドともかみ合っているので結果的にスライドにリコイルスプリングのテンションをかけるだけでなくスライドの後退も制限している。これを抜けばスライドはリコイルスプリングのテンションから解放されるとともにストレートに後方に抜ける。現在では全く見られない方法だし、オートピストル発達史上においてもスライドを後方にストレートに抜くものは非常に珍しい。このスライドロックの後面にはリセスがあってリコイルスプリングのテンションで前進するフォーロワがここにはまり、抜け止めとなっているが、このかみ合いを解除する方法はM1900とそれ以後の2リンクシステムの銃とでは異なっている。M1900ではフレーム前部下面に小さな穴があり、スライドをやや引いてここに細い棒を挿入し、スライドを前進させるとリコイルスプリングのフォーロワが棒にひっかかって手前で止まり、一方スライドロックは前進するのでかみ合いが解除される、という形式だった。M1902以後(厳密には初期のM1902は前述の方法)では現在のガバメントでプラグにあたる部分を押すとリコイルスプリングのフォーロワが押されて後退し、かみ合いが解除された。ちなみに今回の製品では実銃通り分解用の小孔を再現し、実銃通りの分解も可能にしてあるが、道具を使わないと分解できないのは不便だし、精度や剛性の低いプラキャスト製品ではやや問題もあるので、あえてM1902以後の方法でも分解できるようアレンジしている。

 M1900にはまだグリップセーフティ、スライドストップはない。スライドストップはM1902において追加されたが、グリップセーフティはM1905にもまだなく、1906年頃米軍のテスト用に作られたモデルで初めて追加された。マガジンキャッチはグリップ後下部にあるが、いわゆるコンチネンタルタイプとは作動方向が逆になっている。こういう特徴を持つオートピストルは非常に珍しいが、FNのM1900ピストルも同様の形式だった。マガジンキャッチも米軍のトライアルの中、M1909において初めて現在のものに近いトリガーガード付け根にあるプッシュボタン式に改良された。セーフティはその後のものと全く異なるリアサイトを兼用したもので、下げるとファイアリングピンをロックするものだった。機能はそれだけであり、トリガー、ハンマーメカには関係していないので、この状態でもトリガーを引けばハンマーは落ちた。ただし、ファイアリングピンが固定されているので倒れきらず、やや手前で止まることになる。なお、ファイアリングピンはまだ慣性式ではなかった。

 M1900では後のガバメントと異なり、板バネのメインスプリングが使われていた。ハンマーのメインスプリングとの接触部には同社のSAAのように抵抗軽減のためのローラーが組み込まれていた。エキストラクターは後のような自身に弾性を持つ形式ではなく、小さな板バネを伴っていた。シア、ディスコネクター、トリガー兼用スプリングは形状はやや異なるものの後のモデルと同じ板バネだった。それ以外のスプリングは全てコイルスプリングであり、リコイルスプリングの他にバッファースプリングも組み込まれていた。このバッファースプリングは必ずしも必要でないと判断されたようで、M1902では省略されている。

 グリップは基本的にウォールナット製のスムーズだが、M1902への移行前の少数にはチェッカリング入りの木製グリップつきのものやラバーグリップつきのものもあった。グリップ角度は後のガバメントより垂直に近く、長さもやや短い。マガジン装弾数は径の小さい.38仕様でありながら後のガバメントと同じ7発である。表面仕上げはフルブルーイングのみだったとされる。

当時の使用マニュアルより
 
http://www.coltautos.com/default.asp

 これはコルトのオートピストルに関するサイトだ。下の方を見るとミリタリーガバメントの左右にディテール写真が並んでいるが、このうち左の一番上の画像をクリックするとM1900に関するページが表示される。ディテールが非常によく分かる鮮明な画像が多数あり、モデルアップの際非常に貴重な資料となった。さらに、最初の全体画像のやや上の「Model 1900 Instruction Seet PDF」という部分をクリックし、「coltautos.com」というパスワードを入れると、当時の使用マニュアルが表示される。興味深い内容なので拙い訳文を示しておく。


オートマチックコルトピストル(ブローニングのパテントによる)
38口径
マガジン装弾数7発

のピストルのアクションは、それぞれの発射のためトリガーを引く以外オートマチックである。この銃は毎秒5発のレートで発射でき、カートリッジはピストルのハンドル内に挿入された着脱できるマガジンから自動的に供給される。

 満たされたマガジンによってピストルがチャージされた後、1回のオープニングムーブメントが手でなされ、最初のカートリッジがチャンバー内に運ばれる。トリガーを引くとカートリッジは発火し、エンプティシェルは排出され、新しいカートリッジがチャンバーにロードされる。これら全てのオペレーションは手による何の操作もなく自動的に起こる。このピストルのこうしたオートマチックオペレーションは動くパーツのリコイルによってもたらされ、結果としてリコイルが利用される中で吸収されることによって通常のような撹乱効果を持たない。

銃身長−6インチ(頑住吉注:(約152mm)
ピストルの全長−9インチ(頑住吉注:(約229mm)
ピストルの重量−35オンス(頑住吉注:(約992g)

6インチバレルを持つ.38口径、ブルーフィニッシュのみで作られている。

次に示す詳細な記述とともにこの図を参照することによって、この銃の構造に関するパーフェクトアイデアが与えられるだろう。

オートマチックコルトピストルの構成パーツ

口径.38リムレス スモークレス

1.レシーバー
2.バレル
3.スライド
4.ファイアリングピン
5.ファイアリングピンスプリング
6.ファイアリングピンロック兼リアサイト
7.ファイアリングピンロックピン
8.ファイアリングピンロックストップ
9.ファイアリングピンロックストップスプリング
10.シェルエキストラクター
11.シェルエキストラクタースプリング
12.シェルエキストラクターピン
13.スライドロック
14.ハンマー
15.ハンマースクリュー
16.ハンマーロール
17.ハンマーロールピン
18.トリガー
19.シア
20.セーフティ
21.シアピン兼セーフティピン
22.シア、セーフティ、トリガー兼用スプリング
23.メインスプリング
24.メインスプリングスクリュー
25.エジェクター
26.エジェクターピン
27.リコイルスプリング
28.レトラクター(引き戻す)スプリング
29.フォーロワ
30.プラグ
31.プラグピン兼リンクピン(長)
32.リンク(2個)
33.リンクピン(短)
34.マガジンキャッチ
35.マガジンキャッチピン
36.マガジン
37.マガジンフォーロワ
38.マガジンスプリング
39.Scales(2個)右および左側。そしてEscutcheons。
40.Scaleネジ(4本)。

 このピストルの3つのメインパーツはレシーバー(1)、バレル(2)、スライド(3)である。

 レシーバー(1)は往復運動するスライド用の適合するガイドをを持ち、下部は空洞になっていてカートリッジマガジン(36)を入れるハンドルになっている。マガジンはハンドル内に下から挿入され、マガジンキャッチ(34)によってそこで保持される。マガジンキャッチはハンドルの下部からわずかに突き出ている。この突き出しはマガジンをキャッチ(34)から思いのままにリリースするのに役立つ。その際マガジンは再装填のためハンドルから引き抜ける。

 ハンドルの前面にはトリガーガードがあり、その中にはトリガー(18)が位置する。そしてハンドルの後部と上部のレシーバー内にはファイアリングメカニズムが配置されている。ファイアリングメカニズムはハンマー(14)、シア(19)、セーフティデバイス(20)、メインスプリング(23)からなっている。シア、セーフティ、トリガー兼用スプリングもこれに含まれる。またこの下部はマガジンキャッチ(34)を動かすのに役立っている。

 レシーバーの最上部はハンドルから前方に延長され、そこにはバレル(2)が2つの短いリンク(32)によって取り付けられている。1つはバレル前端近く、1つは後端近くである。これらリンクはリンクピン(31)によってレシーバーに取り付けられ、、バレルにも似たリンクピン(33)によって取り付けられている。バレルはこれにより後方へスイングできる。両方のリンクは同じ長さなので、それによるスイングの中でのバレルの後方への動きはバレルをわずかに下へ動かす。ただしその縦軸は保持する。この全ての間、動きは平行である。

 レシーバーのバレル下にはレトラクタースプリング(28)用のチューブ状のシートがある。レトラクタースプリングは前部でプラグ(30)によって閉じられ、プラグは下のリンクピン(31)によってレシーバー内部に固定されている。レシーバーの上面と2本の縦方向のグルーブ側面はスライド(3)のためのシートを形成しており、スライドは前後動の際それによってガイドされる。スライドの後部はボルトを形成している。ボルトの前方への延長部は部分的にチューブ状カバーを形成し、バレルを囲んでいる。

 レシーバーの前部にはレトラクタースプリングシートを延長した、横切る「ほぞ穴」がある。一方スライド前部にある横切るリセスはスライドロック(13)受け入れのためにある。スライドロックはスライドの側面を貫通し、「ほぞ穴」を通り、スライドのレシーバーへのロックに役立っている。レシーバーのそのための収納部にあるレトラクタースプリング(28)はスパイラルスプリングからなり、その後端はレトラクタースプリングとレシーバーの間に位置する、短く硬いリコイルスプリング(27)に接して保持されている。そしてレトラクタースプリングの前端はフォーロワ(29)を担っている。

 スライドロック(13)の後面はごく浅いリセスを持ち、このロックが定位置にあるときは、フォーロワ(29)の前端がこのリセス内にはまる。これによりスライドロックは横方向の動きが制限される。そしてこのようにしてレトラクタースプリングのテンションはスライド(3)に前位置に向かう力を及ぼす。一方リコイルスプリング(27)はスライド(3)の全ての余剰リコイルを受け止める働きをする。 

 バレル上面は3本の横方向のリブを備え、スライド内面には対応する3本のリセスがある。これらはバレル(2) とスライド(3)が前、別の言い方をすれば閉鎖ポジションにあるときに相互に固くロックする働きをする。

 スライドはロッキングリセスとボルト前面の間、右面にエンプティシェル排出のための開口を持つ。そしてボルトはエキストラクター(10)、ファイアリングピン(4)、ファイアリングピンスプリング(5)、ファイアリングピンロック(6)を備えている。このロックはスライド頂上後端にピボット結合されている。押し下げられていると、このパーツはファイアリングピンをその最後部位置でロックする。こうしてファイアリングピンの先端がカートリッジのプライマーに接するのを妨げる。起きているとファイアリングピンロックはファイアリングピンをリリースし、そしてこのポジションにあるときはリアサイトとしても役立つ。上部にサイティングノッチが備えられているのである。このロックは両ポジションにおいてファイアリングピンロックストップ(8)およびスプリング(9)によって保持される。

 マガジン(36)はチューブ状のホルダーであり、その中にはカートリッジがフォーロワ(37)の上に順次積み重なって位置している。フォーロワは上方に押すスプリング(38)によって動かされる。マガジンの上端はカートリッジのエスケープを許すために開口している。マガジンの側面壁はこの開口の後部において内側に曲がっており、最も上のカートリッジのリムを拘束している。これはマガジンからのエスケープを、前方に押された場合を除き妨げるためである。

操作
 マガジンはキャパシティが7発であり、1発から7発までのどのカートリッジの数でも装填できる。チャージされたマガジンはハンドル内にインサートされ、スライドはここに図示されているように手で一度後方に引かれる。

 このムーブメントはハンマーをコックし、そしてスライドがこの位置にあるとき、マガジンフォーロワとフォーロワスプリングは最も上のカートリッジをボルトの途上にもたらされるよう持ち上げる。解放されたスライドはレトラクタースプリングによって前方に運ばれ、そしてこのムーブメントの間にボルトはカートリッジをチャンバーに位置させる。スライドが前部位置に近づくと、ボルト前面はバレル後端にぶつかり、バレルを前方に押す。この前進運動の間にバレルはリンク上で上方にスイングもし、そしてこうしてバレル上のロッキングリブはスライド内のロッキングリセスに運び込まれる。このためバレルとスライドは確実にかみ合い、ピストルは発射準備完了となる。

 この状態でのトリガーの引きはシアを動かし、ハンマーをリリースし、発射を起こす。弾丸をバレルから押し出す火薬ガスの力はボルトに対し後方への力を及ぼし、スライドの慣性とレトラクタースプリングのテンションに打ち勝ち、そして結果としてスライドとバレルは共に後座する。弾丸がバレルから去ってしまっていることを保証するのに充分な一定の距離を共に後退した後、バレルの下方へのスイング運動がバレルをスライドからリリースし、バレルをその最も後方のポジションに取り残す。スライドの惰性は後方への運動継続を引き起こし、それによってハンマーがコックされ、スライドが最後部位置に到達するまでレトラクタースプリングが圧縮され、エンプティシェルがピストルの側面から排出され、他のカートリッジがボルトの正面に持ち上がる。レトラクタースプリングによって引き起こされるスライドのリターン、別の言い方をすれば前方への動きの間に、このカートリッジはチャンバーに位置され、スライドとバレルはかみ合う。このようにピストルは他の発射のための準備ができる。こうした作動はマガジンにカートリッジがある限り継続できる。それぞれの発射はトリガーのわずかな引きしか要求しない。

 操作方法は簡潔に言えば次のようになるだろう。マガジンにロードせよ、それをハンドル内に位置させよ、スライドを引き、そして前方にリターンさせよ、トリガーを引け。あなたが発射を続けたければトリガーを引き続けるだけでいい。

セーフティ
 スライド後端にピボット結合されているファイアリングピンロックは、下げられているとファイアリングピンを最後部位置でロックし、こうしてバレルのチャンバー内にあるカートリッジのプライマーがファイアリングピンの先端と接触することを防ぐ。上げられているとファイアリングピンロックはファイアリングピンをリリースし、リアサイトとしても役立つ(サイティングノッチが備えられている)。
 
 このピストルにはセーフティディバイスも備えられ、これはスライドとバレルがその前部位置にあり、確実にかみ合っていない限りハンマーのリリースを不可能にしている。このセーフティディバイスは発射をコントロールし、トリガーのそれぞれの引きにつき1発以上発射されることを妨げる役目も果している。セーフティディバイスはレシーバー内のシア正面に取り付けられた小さな垂直の一片からなり、その端部はレシーバーの上面からわずかに突き出ている。セーフティデバイスはボルトとスライドが前部位置においてバレルとかみ合っているときに上昇したポジションにあると、ボルト底部の対応するリセス内にはまる。この上昇したポジションでは、セーフティピースはトリガーの操作を邪魔しない。しかしスライドが後方に動いているときはボルトの底部がセーフティピースを押し下げ、セーフティピースが押し下げられたポジションにあるとトリガーがシアを動かすのを邪魔する。そしてこのようにしてハンマーはスライドが再び前部に位置し、バレルとロックされるまでリリースされ得ないのである。

このピストルを分解するためには
 このピストルを分解するためには、ハンマーをコックし、スライドロックがレシーバー底部にある小孔の上を通過し、レトラクタースプリングシートに到達するまでスライドを後方に引く。ピンをこの孔にインサートすることによってレトラクタースプリングとフォーロワはロックの位置まで前進することが妨げられ、そしてこのようにロック(13)がフォーロワのプレッシャーから解放されることによって、ロックは簡単にレシーバーおよびスライド内にあるシートの左サイドから抜ける。ロックがこのように取り除かれると、スライドはレシーバーから後方に完全に抜ける。

 フレームからバレルを取り去るには(必要な場合のみ)バレルリンクをフレームに保持しているリンクピンを抜く。これによりプラグもリリースされ、そのシートから取り除ける。続いてレトラクタースプリング、フォーロワおよびリコイルスプリングが簡単にレシーバー内のそれらのシートから取り除ける。

 ハンドルからネジを抜くことによってグリップパネルを取り除いた後、ファイアリングメカニズムの全パーツはそれらをレシーバー内に保持しているネジやピンを抜いて簡単に取り除ける。

 ピストルの組み立ては逆の順序で行われる。


 この説明書はおそらく教育レベルが低い人にも分かりやすいようにだろうが、平易な文章、表現で説明してある。これを読むと、当時はまだ少なくともアメリカ国内ではオートピストルというものがどういうものであるのか広く知られておらず、現在では常識に属し説明不要であることから詳しく説明を始めなければならなかった状況がよく分かる。また、一部の名称が現在と異なる事に気付く。

当時 現在
ハンドル グリップ
シェル ケース
レシーバー フレーム
セーフティ ディスコネクター
レトラクタースプリング リコイルスプリング
リコイルスプリング バッファースプリング
Scale グリップパネル

 リアサイトを兼ねるマニュアルセーフティがセーフティではなくファイアリングピンロックという名称になっており、一方ディスコネクターがセーフティという名称になっているのが興味深い。グリップに付属するネジの台座部分の名称は「Escutcheon」となっているが、現在と同じなのか違うのか知識不足で分からない。ちなみにドイツ語では現在もグリップパネルを「Schale」という同系と見られる言葉で呼んでいる。

米軍におけるM1900
 言うまでもなくコルトは当時すでに長年米軍制式拳銃を製造、供給してきたメーカーだったので米軍とのつながりは深かったし、軍による大量注文のうまみもよく知っていた。コルトとブローニングは量産前の1898年の段階ですでに、M1900の原型を米軍に売り込んだ。そして曲折を経てではあるが、最終的にこの売り込みは成功し、パーカッションリボルバー時代から続いていた米軍制式拳銃のコルトによる独占に近い状態を、1980年代まで継続させることに成功したのである。

 1898年、初めて米軍によってテストされたこの銃は良い印象を残し、オートピストルの将来性に注目させた。ただし、同時期にはボーチャード、マンリッヒャー、モーゼル、ベルグマンのオートピストルも米軍によってテストされており、この時点ではコルトではなくそれら外国製の銃に初の米軍制式オートピストルの座を奪われるおそれも多分にあった。もっともテストを担当した委員会は、「このタイプのピストルはまだ公用としてリボルバーの位置に採用することを正当化するほどの段階には達していない」との意見を表明していた。

 1899年11月末から1900年2月にかけて、担当の委員会はこの銃とモーゼルC96、マンリッヒャー1894の計3挺をそれぞれ(同時にではなく)テストした。各銃のテクニカルデータは次の通りだった。

モーゼルC96 コルト・ブローニング マンリッヒャー1894
口径 7.63x25mm 9x23SR 7.6mm
全長(mm) 305 229 222
重量(g) 1,120 1,020 964
パーツ数 38 47 26
銃身長(mm) 140 152 184
装填装置キャパシティ 10発固定 7発着脱 5発固定
弾丸の重量(g) 5.5 6.8 7.3
距離16mにおける弾速 409 388 243
距離22.8mにおける平均グルーピング(レスト) 28.4mm 13.3mm 49.8mm
距離22.8mにおける1インチ厚松板の貫通枚数 8 7 6.3

 モーゼルはグリップの前にマガジンを置くデザインのため銃身長の割に全長が長く、重量も重くなっている。複雑なイメージのあるモーゼルのパーツ数がコルトよりずっと少ないのが意外で、間違いではないのかと調べたがこれで正しいようだ。ただし、パーツ数は少なくても製造にはモーゼルの方が手間がかかると思われる。マンリッヒャーは驚異的にパーツ数が少なく(グロックですら34点)、ブローフォワードのため全長の割に銃身長が非常に長い。ただし、マンリッヒャーの固定マガジンは+1できず、多くのリボルバーより装弾数が少ないことになるし、連射時にはダブルアクションオンリーなので発射速度もリボルバーと大差がない。また口径が小さいのに初速がブラックパウダーカートリッジ並に低い。これではオートピストルとしてのメリットが薄い気がする。このデータによればコルトの弾頭重量は現在の平均的な9mmパラベラムより軽く、初速はモーゼルとさほどの差がない印象を受けるほど速かった。松板に対する貫通成績も、貫通力が高いイメージのモーゼルと大差はない。エネルギーではコルトがモーゼルを1割強上回っており、マンリッヒャーは他2者の半分以下しかない。命中精度は意外な気もするがコルトがモーゼルよりずっと優秀という結果になっている。マンリッヒャーは他2者より大きく劣っているが、軍用ピストルとしては優秀な部類のはずだ。

 このテストを経て、委員会はコルトが最も有望であるとしてテストの続行を決めた。一方委員会はモーゼルC96を「大きく、扱いにくい」、そして生産のためには過度に複雑であり、加えてその7.63mm口径は小さすぎると考えた。マンリッヒャー1894に関してはシンプルな構造を高く評価したものの、そのローディングシステムが「非常にまどろっこしく、遅い」、そして乗馬時にはほとんど不可能であると判定した。ちなみに資料にはここに限らず騎兵にとっての使いやすさ云々の問題が頻出する。実際には騎兵の役割はあとせいぜい十数年でほとんど終わりになるのだが、それを予測していた人は少なかったようだ。もっとも当時はまだ自動車が一般化しておらず(アメリカにおける自動車の大衆化に大きな役割を果したフォード社の設立は1903年)、この時点ではやむを得ないことだろう。委員会は当時まだ限定生産品だった弾薬をさらに発注して耐久試験を実施した。1900年2月19日、委員会はこの銃を50発連続で発射した後冷却のため時間を置くという方法で900発発射した。銃が問題なく作動し続けたため、さらに弾薬が注文され、これが3月22日に到着してテストが続行された。51発目から200発目の間にいくつかのトラブルがトリガーメカニズムに生じ、分解点検したが原因は不明だった。この後500発以上問題なく射撃が続けられたが、717および764発目にトリガーまわりに新たな問題が生じ、801発目に後ろのロッキングリンクピンが破損し、この際バレルもダメージを受けた。コルトの担当者がバレルとリンクピンを交換し、4月5日に射撃が再開された。さらに558発撃った後、再び後ろのリンクピンが破損し、後には前のリンクピンも破損した。弾薬を使い切り、テストが終了したとき、すでに5800発が発射されていた。委員会は「唯一の弱点が長いリンクピンに見られた。この修正は困難ではないはずだ」とした。さらに、「このピストルのテストはかつて提出されたリボルバーの場合にないほどシビアだったが、サービスリボルバーをしのぐ耐久性を示した。この銃は以下の多くの優位を持つ。

非常にシンプルな構造
操作が簡単
故障しがちではない
非常に高いレートでの発射能力を持つ
両手を使って簡単に装填できる
高い初速とフラットな弾道を提供する
リボルバーより命中精度が高い


と評価した。委員会はこれにより、この銃がリボルバーに勝る多くのメリットを持ち、公用銃に適していると結論付けたが、弾丸が軽すぎるためリボルバーのようなストッピングパワーに欠けることが問題であると指摘し、メーカーが準備中の.41口径バージョンが有望であるとした。そしてこの銃を推薦する前にフィールドトライアルの結果を見ることを望み、その際には現場に、これがこの銃に制式銃としての適性があるかどうかを決定することを目的としたトライアルであることを知らせ、テスト結果と、彼らの意見では制式銃の口径がテストされた.38より大きいべきであるかどうかの見解をレポートにまとめさせるべきであると提案した。この提案は受け入れられ、計200挺がフィールドトライアル用に供されることになり、1900年5月より納入されたテスト銃は各地の部隊に海路で届けられた。

 1898年に勃発した米西戦争の結果、アメリカはカリブ海および太平洋におけるスペイン旧植民地(フィリピン、グアム、プエルトリコ、キューバなど)を支配下に置くこととなり、強大な世界帝国となっていくが、コルト・ブローニングピストルはこれらの海外植民地、保護国でもテストされた。フィリピンでこの銃はイスラム教徒の独立派であったモロ族の抵抗運動との戦いに用いられた。実際にこの銃を使用した現場の将校たちからはさまざまな意見が寄せられた。このときも装填に両手を必要とし、発射後常にSA状態になるこの銃が騎兵に不適であるとか、ギャロップ時のマガジン交換が難しいなどの意見が見られた。この他マズルヘビーでバランスが悪い、グリップが平均的な手には短すぎる、スライドの滑り止めは前部の方がいい、グリップは大型化してチェッカリングを入れるべきである、マガジンがダメージを受けた場合ほとんど使用不能になる、などの意見が見られ、こうした意見からコルトはM1900に改良を加えていった。

 軍はこの銃のフィールドテストを延長するため、1900年12月19日、さらに200挺のピストルをコルトに注文した。これらは1挺あたり20ドルという価格で1901年2月1日にスプリングフィールドに届けられた。これらの銃はシリアルナンバー1501〜1700の通し番号となっており、フィールドからの意見を取り入れてスライドの滑り止めが前部に移され、木製グリップにはチェッカリングが施されていた。新たなフィールドトライアルは主にフィリピンで行われ、50のレポートが提出された。評価は全体的に高かった。主な内容をまとめると、

肯定的評価

内容 言及した将校の人数(50人中)
命中精度が高い 25人
発射速度が速い 6人
構造が単純である 15人
装弾数が多い 4人

批判

内容 言及した将校の人数(50人中)
スライドを引くのに両手を必要とする 22人
ハンマーが自動的にコックされるため未熟な騎兵には危険 13人
ハンマーをロックするセーフティが必要である 7人
マズルヘビー、バランスが悪い 17人
汚れていると排莢不良を起こす 14人
口径が小さすぎる 12人
グリップが短い 12人
グリップが平滑 7人
不恰好、外観が悪い 4人
フロントサイトが高すぎる 4人
チャンバーに装填されているかどうか一見して分からない 3人
メカニズムが複雑すぎ 4人
制式リボルバーより命中精度が悪い 3人

 といった内容だった。批判のうち少なくとも半数程度はオートピストル一般にあてはまる内容と見られる。さらに改良が必要とされることは明白だったものの、同時期にテストされたM1900ボーチャード・ルガーピストルよりもずっと高い評価を勝ち取ったのも確かだった。

 軍用銃としては繊細に過ぎ、しかも片手で操作できないリアサイト兼用セーフティにも批判が多く、後期のモデルには固定のリアサイトを持ち、セーフティを持たないものもあった(続くM1902でもスライドストップが追加されているのにセーフティはない)。

 この間コルトは一般向けにもM1900ピストルを販売した。1903年までにM1900は合計約3,500挺生産された。改良型であるM1902はスポーツモデルが1903〜1907年に約7,500挺、ミリタリーモデルが1902〜1927年に約18,000挺それぞれ製造された。M1902ミリタリーはグリップが短いという批判に答えてグリップが延長されており、装弾数も1発増加していた。この銃は1903年にイギリスでテストされたが.40口径以下であるという理由で却下され、同年スウェーデン、翌年にはノルウェーでもテストされた。

 1903年の早い時期、コルトは口径が不充分であるとの米軍、英軍双方からの批判に答えるため、M1902ミリタリーの.41バージョンを計画した。しかしこれは2つの理由から実現しなかった。1つは元々ウィークポイントであったロッキングリンクの強度がいわゆるサンダラーなどに使われたリボルバーカートリッジから発展した.41口径弾薬の使用に耐えないと考えられたこと、そしてもう1つは軍のテストの結果.45口径が必要とされたことである。

.45口径化への道
 当時の米軍制式拳銃は1894年にコルトSAAに代わって採用されたコルトニューアーミー.38口径リボルバーだった。しかしこの口径は不充分であるとの意見がすでに支配的だった。この根拠の1つが前述のモロ族との遭遇における経験だった。軍用としてどのような拳銃弾が望ましいのかを科学的に調査するため、軍の医療部門スタッフを含む委員会が1904年に召集された。この委員会によってテストされたのは7.65mmから12.09mm(.476)までの10種類の弾薬だった。このときには家畜を撃つ実験の他、現在では考えにくい人間の死体を撃つ実験も行われた。ただし、サンプル数があまりにも少ない上、首を吊られた人間の死体に弾丸を撃ち込んでどれだけ振れるかという無意味と思われる実験も行われている(これは実際上単に運動量を測ることになると思われるが、運動量はこんなことをしなくても物理的な法則にしたがって計算で出せる)など、どれだけ科学的なものだったのかには疑いが残る。実験の方法や観察者の主観が(あるいは無意識のうちにでも)大口径重量弾に有利な結果を導くものになっていたのではないかという疑いも濃い。例えば「知識の断片」の「エネルギーに基礎をく判断基準」の項目にあるように、Dr.Beat Kneubuehもこの実験を誤りであると断定している。それでも生きた家畜への射撃実験において、7.65mmおよび9mmパラベラム弾を10発撃ち込んでも牛が外見上変化なしだったのに対し、.455および.476は3〜4発、.45は4〜5発でダウンさせたという結果が残っている。この実験の結果、委員会は.45口径が最適という結論を出した。

 これを受けてコルトは1905年の早い時期、M1902ミリタリーの拡大.45バージョンのテストを成功させた。この銃に使われた.45弾薬はウィンチェスターと共同で開発された、.45ロングコルトリボルバー用弾薬を出発点とするもので、これが.45ACPに発展していく。この銃はバレルが短縮され、リコイルの強い弾薬に合わせて各部が強化されていた。この頃すでにブローニングは単一リンクを試みていたが、コルトは2リンクのままの.45口径M1905ミリタリーを同年秋に発売した。この銃が1908〜1910年における米軍制式拳銃トライアルに提出され、この中でM1911に発展していくことになる。この経緯に関してはあまりに長くなりすぎるし、今回のテーマから外れるのでまたの機会に回す(あるいはウェブリー・フォスベリーオートマチックリボルバーかサベージの.45オートをモデルアップする際に取り上げるかも?)。

 それにしてもこうした経緯を見ると、拳銃弾の口径問題の難しさを改めて感じる。繰り返しになるが、M1900に使われた当時の.38コルトオートマチックの性能は、9mmパラベラムと同程度だった。ベレッタM9採用が正しかったなら、M1900でも(装弾数はともかく)効力が不足ではなかったことになるはずだ。モロ族との戦いで.38口径弾の効果が小さいという不満が出たのは有名な話だが、.45口径にしたら問題が解決したとする記述は少なくとも筆者は見たことがない。一方M9採用後も根強く.45口径への回帰を主張する勢力が米軍内部に存在し、現在新.45ピストルトライアルも行われているらしい。もしもこれが実現したら、コルトSAAの.45口径→コルトニューアーミーの.38口径→コルトガバメントの.45口径→ベレッタM9の9mm(.38口径近似)→.45口径新ピストルと変遷することになり、あまりにも判断がぶれすぎるのではないかという印象を与える。あるいは将来的にFNファイブセブンピストルやH&K P46UCPのような超小口径、高初速で高い貫通力を持つピストルが軍用ピストルの主流になるときが来るのだろうか。もしそうなれば、長年にわたって軍用ピストルの主流を占めてきたブローニングタイプショートリコイルシステムがついに主役の座を明け渡すことになるのだが。


参考資料 
「HANDGUNS OF THE WORLD」 Edward C.Ezell著(アメリカ)
「FAUSTFEUERWAFFEN」 BRUNO BRUNKNER著(ドイツ)  
「COLT FIREARMS」 James E.Serven著(アメリカ)










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