実銃について


ベレッタM9、M1951、ワルサーP38

M1951誕生まで
 現存する最古の銃器メーカーとも言われるベレッタは第一次世界大戦中の1915年に初のオートピストルM1915の生産を開始し、イタリア軍に納入して以来現在に至るまで軍用ピストルの開発、生産に力を入れている。1934年に採用された口径9mmショートの有名なM1934は第二次世界大戦においてイタリア軍制式ピストルとして使われた。

 第二次大戦におけるイタリアと日本の陸軍兵器には妙に共通点が多い。主力戦車の攻撃力、防御力が貧弱で連合軍戦車に対抗しがたかったこと、当時主要国の大部分が口径7.5〜8mmのフルサイズと呼ばれる強力な小銃弾薬を使用していたのに対し比較的低威力の6.5mm弾薬を使用していた点などが目に付くが、軍用としては低威力で、片手でセーフティを解除しがたいなどの欠点を持つ軍用拳銃を採用していた点も似ている。ただ、サブマシンガンに関しては日本がピストルと共通の8mmナンブ弾薬を使用する百式機関短銃を採用して低威力という欠点を抱えたのに対し、イタリアがサブマシンガンにはピストルと互換性のない強力な9mmパラベラム弾薬を使用した点は異なっている。イタリア製サブマシンガンはナチ・ドイツにも多数が使用され、比較的評価が高かったが、ピストルと異なる弾薬の使用は補給上の問題などを引き起こした。ベレッタもこの問題は当然理解しており、イタリアが第二次世界大戦に突入する前の1938年、9mmパラベラムを使用する軍用ピストルであるM1938を試作していた。しかしこのピストルはM1934を単に拡大強化したような設計で、強力な9mmパラベラムには向かないとされ、事実成功作の例がほとんどないストレートブローバックシステムを採用していた。中型オートのそれに毛が生えたようなサイズの、しかもベレッタ独特の上部が大きく切り欠かれたスライドは軽量すぎ、9mmパラベラムの発射圧力に耐えるためには射手に過度の力を要求する強力なリコイルスプリングを必要とした。しかも発射時のリコイルショックはきつく、このことは連射性や命中精度に悪影響を及ぼし、部品の耐久性も低くなった。このためこの銃は少数のテストモデルが作られただけで量産されず、戦争突入によって余裕がなくなったためそれ以上の発展開発も行われなかった。

 戦後ベレッタはドイツの銃器メーカーに比べれば比較的早く、少ない制約で軍用銃を含む銃器生産に復帰することができた。イタリア軍向けM1ガーランドのライセンス生産やM1934の戦後バージョンなどの生産とならんで、ベレッタは1940年代の終わりには9mmパラベラムを使用する軍用ピストルの研究開発を再開した。不可解なことに、このとき最初に作られたM1950は戦前に失敗したM1938と大差のない、M1934拡大強化型ストレートブローバックピストルにすぎなかった。ハンマーの指かけが延長される、マガジンキャッチがグリップ左側面下部のボタン式になる、独立したスライドストップが備えられる(ただし珍しいことに銃の右側面に)、グリップ角度が垂直から遠ざかるといった、後の銃に引き継がれる特徴を備えてはいたものの、この試作銃は戦前のそれと同じ理由で満足のいくものにならず、やはり量産されなかった。

 1950年の遅い時期、Tullio Marengoni率いるベレッタの開発チームはやはりM1950と呼ばれる2種類のプロトタイプを作った。これらの銃はいずれもベレッタピストルとしては初のショートリコイルシステムを持ち、そのシステム以外は双方ほとんど差がなかった。つまりこれらの銃の試作は異なるショートリコイルシステムの優劣を判定することを狙いとしていた。その片方はブローニング方式に強い影響を受けたティルトバレル方式だったが、スライド上部が大きく切り欠かれたベレッタのスライドでは通常のバレルとスライドのロック方法は取れないため、最近のベレッタ9000Sに似たバレル側面にロック用突起を持つ設計になっていた。もう一方はワルサーP38に強い影響を受けた独立ロッキングブロックを持つ方式だった。指かけ部のやや長いハンマー、右側にあるスライドストップ、グリップ左側面下部のボタン式マガジンキャッチといった特徴はストレートブローバックバージョンのM1950から引き継がれていた。ただ、ストレートブローバックバージョンのM1950ではM1934と同じ形式だったディスアッセンブリーラッチ兼用のセーフティは設計変更され、ディスアッセンブリーラッチは専用となってほぼ同じ位置に留まり、一方セーフティはガバメントのマガジンキャッチのような位置にあるクロスボルト式押しボタンになった。興味深いことにディスアッセンブリーラッチは銃の左側から操作するようになっている。つまりその後のM1951量産モデルでは右側から操作する方式に変わり、M92系では再び左側に戻ったことになる。またストレートブローバックバージョンのM1950ではM1934同様真上だった排莢方向は右側に変わり、この方が射手の邪魔になりにくいとしてその後の銃に引き継がれた。

 異論もあるがバレルがストレートに前後動するタイプのショートリコイルは理論上ティルトバレルより命中精度が高くなりやすいとされる。この部分以外ほぼ同一である2バージョンで比較したこのときのテストでもバレルがストレートに前後動する独立ロッキングブロックタイプの方が命中精度が高いという結果が出た。これを受けてこの銃がさらに改良され、1951年にM1951が誕生した。

M1951の特徴
 M1951は初めて量産されたベレッタ製9mmパラベラムピストルだ。全体的なデザインは比較用の試作モデルから引き継がれており、M1934から徐々に発展したものでもあるためトリガーメカ、マガジン下部のフィンガーレストなどM1934から引き継がれた特徴も多い。スライドストップはノーマルな位置である銃の左側に移り、一方セーフティは同じクロスボルト式ながらグリップ上部後方に移った。この位置は試作モデルよりむしろ素早く操作しにくいと思われる。ただしM1934も含めそれまでのセーフティがトリガーのみをブロックするものだったのに対しM1951のそれはシアをブロックするもので、少なくとも理論上は確実性が増している。今回モデルアップした銃で操作した感じでは右利き射手が親指でこのボタンを押し込み、セーフティ解除するのはやりやすくはないものの充分可能だ。ただし左利き射手が片手でセーフティ解除するのはきわめて困難である。ただし多くの軍ではチャンバーに装填せずにピストルを携帯するよう指導されるためさほどの問題ではないという評価もある。マガジンキャッチボタンも他社にあまり例のないグリップ左側後下部にあり、これはトリガーガード付け根にあるタイプには素早い操作という点で負け、いわゆるコンチネンタルタイプにはマガジンの保持確実性(誤って脱落しにくい)という点で負ける、どういうメリットがあるのか理解しにくいデザインだ。また、マガジンキャッチも左利き射手には非常に操作しにくい。前述のようにディスアッセンブリーラッチは右側から操作するタイプに変わった。どちらかといえば左側からの方が操作しやすいだろうが、これはセーフティやマガジンキャッチとは違って緊急に操作が求められるパーツではないのでどちらでも大差はないだろう。このパーツはM92系のようなロックボタンを持たず、リコイルスプリングガイドが後方に押される圧力によって回転が妨げられるようになっている点が異なるが、ワンタッチで分解できる特徴は最新モデルまで引き継がれている。独立ロッキングブロックだけでなくグリップのデザインもかつての同盟国ドイツの制式ピストルだったワルサーP38の強い影響を受けている。個人的にはこの銃のグリップはP38よりも、またM92系よりも握りやすく感じる。現在の視点からすれば何故ダブルアクションまで真似なかったのか不思議に思われるが、当時はまだダブルアクション軍用ピストルは主流にはほど遠く、不必要と見なされたのは不自然ではない。ダブルアクション軍用ピストルが主流となったのはこの銃の開発から30年以上経過した1980年代のことである。M1934から引き継がれたトリガーメカによるトリガープルは重く、サイトも現在のM92系よりひとまわり小さかったが、ベレッタ開発チームの狙い通り命中精度はきわめて優秀だった。このため後述のようにこの銃をベースとするターゲットモデルも誕生した。操作性などに一部疑問点もあるが、全体的に見てM1951は当時としては優秀な軍用ピストルであったと評価できるだろう。

M1951の生産と普及
 M1951の生産は1951年に開始されたが、最初は「Ergal」と呼ばれるアルミ合金製フレームを備えていた。このため重量は720gと当時の軍用ピストルとしては非常に軽量だった。だがこのアルミフレームモデルは耐久性に問題が出たため2、300挺で生産中止となった。ほぼ同時期にはコルトもアルミフレームのコマンダーで失敗しており、当時はまだ強力な弾薬を使用する大型ピストルにアルミフレームを導入する技術が熟していなかったようだ。スチール製フレームに変わったM1951は当然ずっと重くなって携帯が不便になったが、リコイルショックは軽減され、射撃はより快適になった。

 M1951はイタリア軍、警察に採用された他、1955年にはエジプト軍にも採用された。このエジプトバージョンはサイトがやや大型化される、バレルがやや延長される、マガジンキャッチがコンチネンタルタイプになる、グリップデザインが変わるなどオリジナルとやや異なっており、エジプトによるライセンス生産が始まる前の1960年代の早い時期に少なくとも50000挺が生産されたとされる。なお、エジプトは同時期にハンガリー製トカレフ変形モデルであるいわゆるトカジプトも使用していたが、この数はM1951よりずっと少なかった。その後エジプトはベレッタの援助の下に「ヘルワン」と呼ばれるライセンス生産品を製造し始めたが、この銃は前述のエジプトバージョンとは異なり、刻印以外オリジナルとほとんど同じデザインだった。この銃はアメリカにも輸出され、安価で高品質だったため比較的高い人気を得たとされる。

 1956年の第2次中東戦争でイスラエルに一方的敗北を喫したとはいえ、当時エジプトはアラブおよびイスラム諸国から尊敬されるリーダー的存在だった。そのエジプトがM1951を採用したことによってこれに追随する国が多数出(チュニジア、ナイジェリア、スーダン、レバノン、イラク、ハイチなど)、この銃は中東で特に普及した。皮肉なことに彼らの宿敵であるイスラエルもこの銃を採用した。これは第2次中東戦争において鹵獲された銃が強い印象を与えたためであると推測される。

 イラク製のM1951は「タリク」(Tariq)と呼ばれる。この銃もオリジナルと刻印以外ほとんど同一だが、グリップに人間の横顔を象ったレリーフがはめ込んである点が異なる。この人物がイスラムの英雄サラディンであるとしている資料があり、筆者はイラク戦争直前に不謹慎にもこの銃のモデルアップを検討し、これに似たサラディンの像があるイスラム圏のコインがないか調べたことがあり、結果的には見つからなかった。ところがこの人物は実はサラディンではなく、711年にイベリア半島に侵攻して西ゴート軍を撃破したイスラム教徒軍の指揮官、ターリク・イブン・ゼヤド(ブン・ジャード)であるというのが正しいらしい。イラク戦争後の新生イラク軍によってこの銃が使い続けられるのかどうかは情報がなく不明だ。

 「ブリガディア」(准将)という商品名がつけられたコマーシャルバージョンは世界的には比較的高い人気を得たが、アメリカではあまり普及しなかった。ただしこれは品質や性能の問題ではなく、当時は9mmパラベラム弾薬仕様のピストルが全体的に不人気だったという理由が大きいと思われる。なお、この銃はM1951の他M951、M51と呼ばれることもあり、何故かベレッタ自身によってそんな刻印が打たれてもいないのにM104という名称で呼ばれたこともあった。

M1951のバリエーション

 1957年、ベレッタはエジプト軍用にM1951のターゲットバージョンを製造した。この銃はターゲットモデルへの改造にあたって助言を行ったエジプト陸軍のBerhama大佐にちなんで「M951(または51)ベルハマ」と呼ばれる。この銃は5.8インチロングバレル、アジャスタブルサイト、大型の木製グリップなどを装備していた。

 コマーシャルバージョンの大多数は9mmパラベラム弾薬仕様だったが、1963年からは7.65mmパラベラム(.30ルガー)弾薬仕様でも少数が生産され、このモデルは1971年にM952という名称で正式にラインナップに加わった。同年にはこの銃、つまり7.65mmバージョンのターゲットモデルであるM952スペシャルも加わったが、その特徴の多くはベルハマから引き継がれていた。この銃のトリガーはターゲットモデルとしては重かったが、命中精度は非常に良好だったとされる。ただし生産数はごく少なかった。

 この他M1951にはフルオート特殊バージョンが存在する。これには前期型であるM951A(Aはオートマチックファイアの略)と後期型であるM951R(Rはイタリア語でバーストを意味する「Raffica」の略、ただしここではフルオートのことを指している)があった。両者ともより長いバレル、より重いスライド、大きなハンマー、バーチカルフォアグリップ、これの装着のため前方に延長されたフレームを持っていたが、Aのフォアグリップは折りたたみ式、Rのそれは固定だった。セレクターはフレーム右側、グリップの前方にあり、セミ・フルオートが選択できた。両者ともノーマルなM1951用マガジンを受け入れ可能だったが、10、15、20連マガジンも存在した。マガジンが1列のため装弾数を増やすとマガジンが急速に長くなってしまうのは止むを得なかった。この種のマシンピストルは発射速度が過大になることが多いが、この銃にはレートレデューサーが組み込まれ、毎分750発以上とされるが比較的低かった。この銃はストックなしで保持することを前提としたものだったがコントロールは困難であり、少数がイタリア特殊部隊によって使用されたが評価は高くなかった。しかしこの銃の経験は後のM93Rに生かされることになる。

 1970年代にベレッタは再度アルミフレームバージョンに挑戦し、少数がテスト用に作られたが、この頃には後継機であるM92系の登場が間近であったため量産はされず、M1951はM92と交代する形で生産終了した。

 M1951はベレッタ初の9mmパラベラム弾薬仕様量産オートピストルであり、多くの国の軍で使用され、後にアメリカ軍制式ピストルとなるM92系開発のベースとなったなど多くの点において銃器発達史上において大きな意味を持つピストルであると言える。



参考資料:「MODERN BERETTA FIREARMS」(GENE GANGAROSA Jr.著)
「ベレッタ・ストーリー」(床井雅美著・徳間文庫)











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