1.10 初期のリボルバー

 リボルバーが誕生したのは、1挺の火器から素早く連続した射撃を行いたいという願いのおかげである。前装銃のロードには多すぎる時間を必要としたため、連発銃は火薬と弾丸をロードできる複数のチャンバーを持たねばならなかった。当然1挺の銃に複数のバレルを装備することもできたが、そうした場合その重量は、1本のバレルと複数のチャンバーを持つ銃より大きくなった。大きな重量は特にハンドガンの場合欠点であり、このため複数のバレルを持つピストルやリボルバー(ペッパーボックス 頑住吉注:「Bundelrevolver」・「u」はウムラウト・すなわち「束状回転式拳銃」)は普及することができなかった。

 チャンバーには2つの単純な配列方法がある。それを1つの平面上に隣り合って並べるか、その軸線を円筒状の面上にシリンダー軸と平行に配置するかである。両方の配列法はすでに非常に早くから銃器製造において用いられていたが、普及したのは後者の方式である。我々はこれをリボルバーと認識している(頑住吉注:ちなみに前者はハモニカ型などと呼ばれます)。これには多くの理由がある。すなわち、円筒状に配列したチャンバーは、チャンバーケース内に隣り合って配置したものより少ないスペースしか要しない。バレル後方へチャンバーを運ぶことも、要求される正確さが1つの軸をめぐる回転運動によって達成されるためより簡単だった。その上軸上をシリンダーが回転する場合は、チャンバーケースを横滑りさせる場合より摩擦抵抗が小さかった。

 我々は知られている全ての点火原理にシリンダー方式の銃器を見出す。マッチロックに始まり、センターファイアまたはリムファイア方式を持つ一体弾薬までである。最初の銃器の場合は常にペッパーボックスであり、バレル束を発射後手で回転させなければならなかった。バレルの点火メカニズム前への整列は、バレル束後方に穴を設け、この中にスプリングのテンションがかけられてフレームに設置されたピンがはまることで行われた。

 (頑住吉注:神聖ローマ帝国)皇帝カール5世(1500〜1558)の財産に由来する3本のバレルを持つホイールロックペッパーボックスがトリノのArmeria Reale Museumにある。この銃は1530年頃ニュールンベルグで製造され、長さ20cmのバレルからスチール製の矢を発射するように作られている。

 1本のみのバレルを持ち、6チャンバーのシリンダーを持つ最古のホイールロックリボルバーは、ウィーンの技術史博物館に保管されている。この銃はボヘミアのプリンスMatthiasのものだったらしい。彼は1608年以前にすでにハンガリー王になっている。

 ホイールロックリボルバーはまだ実にゆっくりした銃器だった。各発射の前に発火機構をコックし、点火薬を火皿内に流し込まねばならなかった。スナップハンスロックを持つ回転式銃器はいくらか操作が簡単だった。スナップハンスロックを持ち、最古の確実な年代判定を持つ回転式ライフルはコペンハーゲンのTojhus博物館にある。これは1597年にニュールンベルグで作られたものである。この銃は8チャンバーのシリンダーと施条されたバレルを持っている。各チャンバー上には押し動かせるカバーを装備した火皿があった。後には時として回転式銃器のハンマーには、上に位置する火皿カバーを開くレバーが装備された。これによりこのフリントロック式銃器の発射速度は、ホイールロック式の回転式銃器に比べてはるかに向上した。

 ロンドン塔には1650〜1680年の時代に由来する1挺のフリントロックリボルバーが展示されている。これはシリンダーの回転をもはや手で行う必要がなく、シリンダー後部に取り付けられた歯車をグリップするハンマー上に取り付けられたレバー、すなわちシリンダーハンド(頑住吉注:原文は「Umsetzer」=「移すもの」、「配置換えするもの」)を通じてそれがもたらされる、知られているうち最古のリボルバーである。このハンマーがコックされると、その際同時に次のチャンバーがバレルの後ろに位置するまでシリンダーが回転する。この構造はサミュエル コルトが1835年に英国パテントを手にしたそれと似ている。

 当時のまだ不完全な製造方法はリボルバーのような非常にコストのかかる構造を非常に高価なものにした。回転終了後に毎回シリンダーの穴ぐりを正確にバレルの後ろに位置させるための穴ぐりの整列は特別な正確さを要求した。その上フリントロックによる点火は非常に信頼性が高くも、特別に簡単でもなかった。各チャンバーに火皿カバーつきの火皿を持たせ、そして銃に火打石で打撃できるスチールを装備しなければならないことについてよく考える必要があった。

 おそらく非のうちどころのないフリントロックリボルバーは1918年にアメリカ人E.H.Collierがイギリスでパテントを取得したものである。Collierによって1820年頃まで製造されたこのリボルバーの場合、シリンダーは手で回転させなければならなかった。ハンマーもトリガーも、シリンダーハンドを装備してはいなかった。だが、Collierは彼のパテントの中で、スプリングと制動装置を持つシリンダーの自動回転についても記述していた。しかしこのシステムはロングアームの場合のみに使われることが意図されていた。Collierリボルバーの場合チャンバーの火皿は、自動的マガジンから点火薬を入れられた。

 しかしこのパテントの特徴的な点は、シリンダーのチャンバーとバレルの正確な配列方法だった。バレル後端は先細りにされ、チャンバーは前部に対応する拡大部を持っていた。発射前、シリンダーは前に、そしてこれによりチャンバーのすり鉢状拡大部がバレル端部に向かって押し動かされた。この疑いの余地なく興味深い構造は普及することができなかった。Collierは1821年に生産を中止した。結局この銃は単純に高価すぎたのである。その上、新しい点火方法(頑住吉注:その頃すでに普及を始めていたパーカッションロック)はフリントロックにはるかに勝っていたので、この観点からシリアスなライバルとなることは不可能だったのである。


 技術的制約から普及できなかったものの、コルトよりはるか以前からリボルバーが存在し、自動回転式フリントロックリボルバーすら存在していた、というのはイーサン・アレンのペッパーボックスの「実銃について、で触れた通りです。

http://123india.santabanta.com/rating.asp?catid=9014007&high=1

 詳しい説明がないので詳細は不明ですが、これはフランス製のフリントロックリボルバーだそうです。火皿のシャッターがよく分かりますが、この銃の場合手で開閉するタイプだったようで、おそらくシリンダーは手動回転式でしょう。

http://www.rlent.com/arm1.html

http://horstheld.com/0-makers-C.htm

 これらはCollierのフリントロックリボルバーです。

 ちなみに全体の趣旨と関係ありませんが、神聖ローマ帝国皇帝のホイールロックペッパーボックスや、コペンハーゲンの博物館にあるホイールロックリボルビングライフルがともにニュールンベルグ製であることから、古来同地の銃器産業が盛んであり、しかも当時としては未来的、野心的な銃器を作って外国にも盛んに輸出していたことがうかがわれます。








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