対低空航空機防御用兵器

 1944、45年、連合軍の制空権に対する戦いが対戦車防御同様全ての兵器の最優先課題に含まれた。連合軍の低空攻撃航空機による無数の攻撃からの防御のための新しく、効果的な戦闘手段を追求する上では、パンツァーファウストの成功したコンセプトを似た兵器、フリーゲルファウストのために引き継ぐことが近道だった。その際効果的戦闘距離として500mが充分と想定された。近接戦闘兵器に関するこの研究の枠組内のそのような戦闘手段を表現する3つの基本原則があった。

1.対低空飛行機防御のため、対戦車防御のためのワンマン兵器であるパンツァーファウストのコンセプトを引き継ぐこと。

2.1944年に見込みが立った歩兵の対戦車近接兵器の効果的射程が500mであり、そしてこれにより全く匹敵する距離が要求された(器具「Hammer」を参照せよ)。

3.戦闘用航空機の決定的に高い速度はその防御における基本条件を作り、これは対戦車近接戦闘のそれに匹敵した(次の表を見よ)。

兵器種類・タイプ 攻撃速度 防御兵器の効果的射程 戦闘のための時間
P51D「ムスタング」戦闘機 320km/時
88.8m/s
500m(ルフトファウスト) 5.63秒
T34/85中戦車 53km/時
14,72m/s
150m(パンツァーファウスト) 10.19秒

注釈:P51の場合320m/時の攻撃速度を仮定、T34ではあり得る最高速度を想定。

(頑住吉注:要するに「対航空機兵器では敵の速度が戦車の場合の約6倍なので原コンセプトであるパンツァーファウストの有効射程150mでは全く足りず、最低限の射程としてパンツァーファウストの3倍以上の射程が想定されたが、この背景には対戦車用の新兵器「Hammer」がその程度の射程を達成していた以上充分可能だろうとの計算があった。そしてこれでも戦闘のための時間は半分ちょっとにしかならなかった」ということでしょう)

 歩兵対航空機防御戦力の任務は完全に普遍的に次のように定義された。すなわちそれは自軍部隊が休息する、進軍しつつある、待機場所に集合した、敵と戦闘中の地域の上の空間を航空攻撃から守らなくてはならない。火力戦闘の目標は、

1.敵航空機の破壊。

2.敵の航空攻撃の粉砕。

3.空の敵の統一性のある兵器効果の妨害。

だった。

 低空攻撃航空機はライフルによる集中射撃、特別な銃架に載せたマシンガンによる持続射撃、そして開戦頃には歩兵車輌If.5(マシーネンゲベールワーゲン36)に装備された双子ソケットに載せた双子MG34によって防御可能だった。航空機の攻撃速度320km/hの場合12.5mごとに1発の命中弾を達成する7.9mmのMG34の使用による防御が可能だった。双子銃架使用時にはそれに応じて成功可能性が高まった。戦争の経過の中で航空機のタンクの抵抗性はかなり改善された。生存に重要な部分は装甲を手に入れた。ライフルの集中射撃、マシンガンの持続射撃による対低空航空機防御の可能性はかなり低下した。これに合わせて対航空機防御カノンは口径2cmおよび3.7cmに強化しなくてはならなかった。歩兵師団内の歩兵対空中隊内には対空防御の担い手がいた。彼らの兵器装備は非常にさまざまだったが、1944年秋には完全に6門の3.7cm砲および2門の2cm砲を含んだ。さらに2基の2cm4連装対空砲が加わった。2cm対空兵器の破壊範囲は1200mであり、口径3.7cmの対空兵器は2000mだった。特に3.7cm対航空機防御カノン36および43の砲火は効果的と判明した。これは1944年12月21日のレポートで次のように語られている。「3.7cmグレネードの極度に強力な炸裂効果は航空機への命中時、比較的敏感でない位置の場合でも墜落に導いている。」 しかしそれでも弾薬の消費はかなりのものだった。例えば第4機械化重騎兵部隊の第4対空騎兵小隊は1944年5月初めから10月の終わりまでにわたってロシア製戦闘航空機21機の撃墜を達成するのに平均530発の3.7cmグレネード弾薬(弾丸重量=336.55kg)を必要とした。これはかなりの出費だった。しかしより大きな問題は対航空機防御カノンの数の少なさだった。1944年秋、師団内の歩兵隊空中隊は概して6〜11門の口径2cmおよび3.7cm対空兵器を持っていた。これは全師団部隊を成功裏に低空航空機の攻撃から守るためには少なすぎた。歩兵銃およびマシンガンからの集中射撃の効果は限定されたものに留まった。それにもかかわらずフランスにおける侵攻戦に参加した連合軍パイロットは、それがまさに脅威であったと証言している。しかしながら低空攻撃はドイツ部隊にとって重大な結果をもたらした。彼らは戦闘爆撃機および装甲された戦闘機から、単独の兵でさえ、そして戦争の終わり頃には民間人さえ獲物とされた。文字通り「地面の上に釘付けにされた」のであり、大きなマテリアル上および人的損害を受けた。部隊は昼間中ずっとその作戦行動能力を失った。

 低空攻撃航空機からの防御という問題の解決のための新しい兵器技術的解決策が重点的に追求された。デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ株式会社とKarlsruheのドイツ兵器および弾薬工場から、8.8cmロケット対戦車銃54(パンツァーシュレック)から特殊なフリーゲルシュレック弾薬を発射するという提案がなされた。それは8.8cmおよび10.5cm対航空機防御カノンの焼夷榴散弾に似た機能をした。長さ174mmの弾頭はニトロペンタからなる成型炸薬を受け入れ、この上に紙製の中間円盤を使って144個の焼夷弾片が3段に積み上げられた。この弾片には円筒形および六角柱型があり、1.4gの燐を受け入れた。この弾頭はパンツァーシュレック弾薬の駆動部分と結合された。ロケット対戦車銃への変更はサークル状フロントサイトの取り付けだけであり、これは320m用に調整されていた。航空機はその全幅をサークル状フロントサイトでカバーされ、フリーゲルシュレックが発射された。砲身の約90m前方で点火がなされた。成型炸薬は焼夷弾片を分解し、焼夷弾片は0.25秒以内に長さ30mの円錐を形成した。これは直径15mの円をカバーした。攻撃される戦闘航空機はダイレクトにこの弾片円錐内に飛び込んだ。高い命中速度により、航空機のタンクは貫通され、多くのケースにおいて火災を発生させるはずだった。この多くを期待させる開発品は1945年1月半ばに終了に持ち込むことができた。しかし500発が生産されたフリーゲルシュレック弾頭はもはや部隊テストされなかった。

 さらなる対空防御用兵器がルフトファウストだった。これは1945年2月4日以後は正式にフリーゲルファウストの名を持った。その開発は1944年7月に始まった。この月、陸軍最高司令部はライプチヒ・アルテンブルグのHugo Schneider AG(HASAG)の研究開発部門に対低空航空機戦闘のためのワンマン兵器の注文を与えた。軍の必要事項要求は次のようなものだった。

1.リコイルフリーのワンマン兵器(パンツァーファウストに似た)

2.発射ポジションで重量2kg

3.扇型、または散弾射撃方式の効果

4.弾丸速度300m/s

5.弾丸斉射の弾道長の10%の散布において効果的射程500m

6.弾道800m以後自爆

7.再装填能力(この要求は後で加わった)

 まず初めHASAGの技術者はパンツァーファウストを効果的に転換したコンセプトに非常に近いものを得た。実験用弾丸としては炸薬のない訓練用2cm爆雷グレネードが選ばれた。これは空軍で2cmMG151/20用に使用されていたものだった(これは戦闘機などに搭載されて多用された航空機関砲です。日本にも輸入され、陸軍三式戦闘機「飛燕」に搭載されてその精巧さ、強力さが評価されました)。この弾丸は重さ5.4gのダミー炸薬とアルミニウム製ダミー信管を持っていた。弾丸の誘導リングに長さ50mmのスチールパイプがセットされ、内部には木材および曳光剤からなる充填材が入れられ、外部には4枚の傾斜をつけたスプリング用スチール製安定翼が取り付けられた。発射パイプ内ではこの安定翼は(パンツァーファウストの場合のように)巻かれており、発射の際に開いた。ゴム製の密封円盤が接続部となり、これに小さな棒状火薬からなるに長さ65mmの推進薬が続き、推進薬には電気的な赤熱ブリッジ点火装置が付属していた。扇状、あるいは束状射撃のために4本の長さ1000mmのシームレス引き伸ばしスチールパイプが使われ、これらは2カ所で互いに結合されていた。上のパイプ上には折りたたみサイト(パンツァーファウスト60に似た)の付属した発射設備があった。2番目のパイプの前部、および3番目のパイプの後部にはキャリング設備の受け入れのための保持リングがあった。



ルフトファウストA。折りたたみできるサイトに注目(パンツァーファウストに類似)。トリガーは欠けている。
(頑住吉注:このルフトファウストは4本の砲身を束ねるのではなく縦一列に並べており、どういう射撃姿勢を取ったのかよく分かりません)



(頑住吉注:このロケット弾は20mm砲弾に誘導リングをかぶせてあるので口径自体はそれより大きく、砲身の肉厚が1mmなら28mmということになります)

ルフトファウストA

4本バレルのランチャーの重量:不明
ルフトファウストA弾薬の重量:不明
炸薬:6.2gのニトロペンタ/ワックス(90:10)
信管:デュプレックス炸裂カプセルを持つ着発信管
4本バレルのランチャーの寸法:1000x23x300mm
ルフトファウストA弾薬の寸法:203x21mm
使用:散弾射撃方式での低空航空機との戦闘
初速:不明
射程:不明
注釈:翼安定式。上腕に乗せてのリコイルフリー射撃。

(頑住吉注:このデータではロケット弾の径が21mm、砲身の直径が23mm、肉厚が1mmということになっています)

 さらに軍需物資を探して2cm対空防御カノン30および38の2cm炸裂グレネード曳光Wの、このルフトファウストAと名付けられた発射器具への使用が可能となった。2cm炸裂グレネード(AZ 45、AZ46、AZ5045)用の通常の信管は、翼で安定されるフリーゲルファウスト弾の場合ライフリング回転がないため使用できなかった(頑住吉注:ライフリング回転の遠心力で弾丸の安全装置が解除されて炸裂可能になる通常の機関砲用信管は翼の傾きによってゆっくり自転する程度のこのロケット砲弾には使えなかったということでしょう。ちなみにAZは着発信管の略のようです)。このためニトロペンタ/ワックス(90/10)からなる重さ6.2gの炸薬の点火用には準備完了状態の着発信管が使われることになった。これは広範囲において着発信管AZ1528と一致し、炸裂カプセル(デュプレックス)1個と結び付いて作用した。これはマスク安全装置でも砲身前安全装置でもなかった(頑住吉注:意味不明ですが使用前に安全ピンを引き抜くようなものでも、発射後に自動的に安全解除されるものでもない、最初から炸裂可能なものだったということだと思います。危険すぎるように思えますが、信管は砲身内にあって異物が触れることはなく、使い捨て兵器なので一応問題ないはずだということだったんでしょうか)。このルフトファウストはテスト中にその対低空航空機防御のための原則的な適性を示した。だが要求された500mという効果的射程は達成されなかったし、散布は大きすぎた。特に不利と感じられたのは、ルフトファウストAが1945年まで製造されたパンツァーファウストモデル群のように使い捨て兵器として1回の使用のためにコンセプトされていたことだった。これは戦争4年目、労働力および素材不足が深刻化していた軍需産業にはもはや受け入れ不可能だった。

 この翼で安定される2cm弾の効果的射程を延長するため、開発スタッフはスチール製ノズル円盤の上の重さ42gのDiglykolパイプと中央ノズルからなるロケット駆動セットの使用に移行した。興味深いことに安定された弾道のためにはすでに先行モデルで使用されていたスプリングスチール製の4枚の安定翼が使い続けられた。翼は中央ノズルの後方の木製シャフトに固定された。木製シャフトには赤熱ブリッジ点火装置の付属した黒色火薬筒が隣接していた。この助けを得て長さ290mmのロケットは100m/sの初速を達成した。ロケットは砲身を去った後にもDiglykolロケット駆動セットに点火された。この方式は欠点を示した。燃焼開始によってロケットの弾道方向の大きな偏差が目立った。2つの運動インパルス(黒色火薬筒とロケット駆動装置によって生じる)を均一に同調させることは不可能だった。2カ月の集中的開発研究および多くの実験により、燃焼は出来る限り誘導パイプ内で行わねばならないという認識がもたらされた。黒色火薬筒の位置にはベルリンの会社Monheimの電気的赤熱ブリッジ点火装置が配置された。これがロケット駆動セットの点火を行った。



スタート装薬(黒色火薬)、巻いたスチール製翼、ロケット推進剤、中央ノズルの付属したスチール製ノズル円盤を持つ過渡期の試作品
(頑住吉注:ロケットの飛距離を増すため、まず紙製の筒に入った黒色火薬でロケットを100m/sの初速で射出した後にロケットに点火してみた、ということです。ライフリングのない砲身から発射された後の不安定な空中でロケット点火を行い、誘導装置のようなものが一切ないのでは散布が大きくなりすぎるのも無理からぬところです。翼の後方にある黒色火薬の入った紙筒はロケットと一緒に飛んでいくわけではなく取り残されるので、ロケットの長さは290mmだというわけです。ロケットにどうやって点火するのか説明がありませんが、たぶん黒色火薬の火が燃え移るだけでしょう)

 まだ満足させるところまで解決されていないさらなる問題は弾道の安定だった。新たな開発可能性は自転するロケットの使用が提供した。翼シャフトがなくなることにより駆動装置のパイプを構造上より単純にする可能性が生じた。まず初めHASAG研究および試作部門の技術者は1個の中央ノズルを持つ金属製ノズル円盤と4つの自転用ノズルを使用した。後者はロケットに望まれる自転を与える事を意図していた。だがこれは初め不十分にしか成功しなかった。この理由からそのひねり角度は15度から30度に、最終的には45度に高められた。自転用ノズルの製造はテスト作業場でもすでに問題があったため(頑住吉注:ロケット推進薬は単一であり、ここから発生する燃焼ガスを1個の中央ノズルと4個のひねりを加えた自転用ノズルから噴出させるわけですから作りにくい構造になるのは当然です。効率をあまり考えなくていい試作でも金属ではあまりに作りにくく、まして量産ではこんなことはやっていられないと考えられた、ということでしょう)、スタッフは陶磁器で作ることを決めた。これらノズルの導入は飛行特性の驚くほどの改善をもたらした。しかし同時に中間における飛行速度を250m/sから150m/sに低下させた(要求は300m/s!)。この速度および良好な飛行特性は開発の最終段階だった。陸軍兵器局研究グループ「弾道学および弾薬のための開発および実験機関」の1944年11月26日における研究通知ではこの型はルフトファウストBと呼ばれている。同時にゼロシリーズ10,000基の器具と4,000,000発が注文された。だがさらなる開発経過の中でまだいくつかの問題が待っていた。1944年12月24日における覚え書きからは、要求された確実性がまだ保証され得なかったことが分かる。1945年1月、テストは束状射撃の際のバレル振動の原因の確認に至った。この射撃方式ではかなりの偏向が生じた。このためスタッフは9発のロケットのうち4発をノーマルに、残りの5発を0.2秒の遅延をもってスタートさせる方法に移行した。これは射手には感じられなかったが、改善をもたらした。それでも弾道長の10%のみの散布という要求は1945年4月まで達成できなかった。散布は15から20%で、これは戦後(1945年8月11日)に提出されたHugo Schneider AGライプチヒ部(HASAG)の従業員のレポートから分かる。

 専門家グループ「テスト部門」の第11部門(ロケット)の1945年2月4日における前述の研究レポートの中の覚え書きでは「ルフトファウストが即時フリーゲルファウストと改名され」たことが確認される。100基のフリーゲルファウストという最初の供給はすでに1945年1月21日以後引き渡しのため準備されていた。当時すでに弾薬の製造(陶磁器製ノズルの用意における供給不足)およびマガジンの供給は困難になっていた。最終的に1945年4月末までにさらに80基のフリーゲルファウストを部隊テスト用に引き渡すことに成功した。タイプライターで作成され、コピーされたこの器具ルフトファウストの「操作説明書」には次のように書かれている。「1.それぞれのルフトファウスト木箱には8個のマガジンが付属した1基の器具が入っている。 2.マガジンは準備完了状態であり、特別に炸裂可能にする必要はない。」 この器具ルフトファウストは9本の長さ1200mm、内径20mm、薄板製の個別バレルをサークル状に1本の束として結束したものからなっている。個別バレルは互いに平行に配置され、前部は9つの穴の開いた保持具によって、後部も同様に9つの穴の開いたマガジン受け入れ部分によって保持されている。さらに3つの薄板製リングがバレル束を包んでいる。前部2箇所にはそれぞれ1個の保持グリップがある。後部には肩支えがある。両保持グリップの間にはスプリングのテンションがかけられた打撃発電機(メーカーはライプチヒのKorting社 頑住吉注:「o」はウムラウト)があり、コッキングレバー、セーフティ、トリガー設備が取り付けられていた。バレル束上、前の保持カップと前のリングの間には照準設備(フロント、リアサイト)が搭載されていた。マガジン受け入れ部分内には、打撃発電機のケーブルと接続された配電盤があり、これが個別の弾丸それぞれに同時に点火電流を供給した。後で発射される5発のロケットのスタートの際の0.2秒の遅延は伝達測度の遅い物質によって達成された。マガジンは9発の個別弾丸を含み、全体としてマガジン受け入れ部分を通ってバレル束内に押し込まれた。器具全体は重量6kgであり、マガジン装填状態では8.5kgだった。



 弾丸には誘導リングがなく、自転によりセーフティ解除される着発信管、デュプレックスカプセル、コンビネーションされた炸裂および焼夷装薬、熱分解曳光剤の付属したノーマルな2cm焼夷炸裂グレネードだった。弾丸底部には着火剤と電気的赤熱ブリッジ点火装置が取り付けられた固形推進薬を持つ単純なチャンバーパイプがあった。スタッフはロケットの安定方式の変更により自転によってセーフティ解除される信管を再び引っ張り出すことができた。弾丸はマズル前方80mにおいてその最高速度250m/sを達成した。この際その回転数は毎分25,000回転となった。だがノーマルな着発信管AZ1502はたやすくは使用不可能だった。というのはそれらはすでにバレル前方30mですでに安全装置解除されるべきであったからである(頑住吉注:超低空飛行する敵機に命中しても炸裂しなくてはならないが、徐々に加速するロケットでは早期の安全装置解除が難しかったということだろうと思います)。テストでは変更を加えた着発信管AZ50AおよびAZ50Bがベストの結果をもたらした。これらの信管は要求された距離で1mm厚の紙に命中した際に反応した。すでに点火テストの局面において単発射撃における兵器の効果がテストされた。0.5mmおよび1mm厚ジュラルミンは苦労なく破られた。その穴は600〜800mmの直径を持った。ちなみにコンプリートなフリーゲルファウストロケット1発は220gだった。



 9発の2cmロケットの受け入れのためのマガジンは当初金属薄板製だったが、後にはセラミック製となった。マガジンは2枚の円盤であり、それらはロケットを9本のバレル同様の定位置に保持する任務を持っていた。



 取り扱いは比較的簡単だった。「射手はマガジンをバレル束内に入れ、兵器を肩の上に乗せ(その際肩当ては固く押し付ける)、打撃発電機をコックし、セーフティをかけ、兵器の対応する保持グリップを握る。その後サイトをパチンと起こし、ターゲットを狙い、セーフティを解除し、トリガーを引く。」 目はサイトレールの前後のポイントと航空機を一直線に結ばなくてはならなかった。体勢は戦闘場所次第で立っていても寝ていてもよかった。樹木あるいは類似のものを射撃姿勢に役立てることもできた。

フリーゲルファウスト元々はルフトファウストB

9本バレルのランチャーの重量:8500g(マガジン装填時)、6000g(マガジンなし)
ルフトファウストB弾薬の重量:220g
炸薬:19g
信管:AZ50AまたはB、もしくはデュプレックス炸裂カプセルを持つAZ48
9本バレルのランチャーの寸法:長さ1250mm
ルフトファウストB弾薬の寸法:255x21mm
使用:散弾射撃方式での低空航空機との戦闘
初速:250m/sから150m/sに低下
注釈:
自転により安定させられる方式。4発が発射され、0.2秒の遅延をもってさらに5発が発射されるリコイルフリー射撃。上腕に乗せての発射。点火は電気的。1基のフリーゲルファウストと8個のそれぞれ1個のマガジン(9発のロケット)が入ったコンテナが木製パッキングケースに入った梱包。

 1945年4月における開発の状態に関し、HASAG従業員による前述の同年8月11日のレポートでは次のように語られている。「研究施設の作業場では100基までの器具と約1000のマガジンが試験的に製造された。この個数によってテストコマンドが装備され、彼らはこれとともにダイレクトに西前線に赴いた。その後軍事的崩壊が急速に起こったため、我々はこの新兵器の実戦使用に関しなにがしかを詳しく聞くことは決してなかった。技術的一般論としては次のように言うことができる。このシリーズにおけるマガジン射撃方式は比較的大きな散布を示した。飛行速度も陸軍最高司令部が定めた開発の状態にまだなかった。」 他の部分ではこのルフトファウストの結果に関しては最終的な判定は下せなかったとも書かれている。実戦からの何らかの経験は伝えられていない。

だが実施されたテスト射撃(風船に対する)に基づいて次のように言うことができる。低空飛行機との戦いにおける見込みは非常に大きくはないと言わざるを得ない。なぜならまず弾丸の速度が250m/sと余りにも小さすぎ、さらにロケット駆動により非常に不均一性の高い散布が現われたからである。さらには同時に燃焼する弾丸のロケットは互いに強く影響し合った。9発の弾丸のグルーピングは非常に非常に不均一であり、まして300〜700mの大きな戦闘距離では大きすぎた。

 1945年4月半ばにニュールンベルグ近郊でアメリカ軍の捕虜となってからの第11兵器テスト部門(ロケット)のJorg(頑住吉注:「o」はウムラウト)中尉の発言によれば、1945年1月にはすでに若干数のルフトファウストが前線テストのためにザールブリュッケン(頑住吉注:ザールラント州の州都)に来ていた。さらに写真により1945年4月末の首都ベルリン防衛に際しての実戦投入が証明される。ドレスデンから遠くないGrillenburgで発見された2基のフリーゲルファウスト器具はこの新兵器が同年5月始めのザクセンにおける最後の戦いで使用されたことを示唆する。HASAGテスト場での広範な発見物は工場自身によるテストを示す価値しかない。同社のテスト作業場では第1アメリカ陸軍が1945年4月19、20日頃、器具と弾薬を捕獲した。このためアメリカは何日も前でない日にあらかじめ得ていたフリーゲルファウストに関する乏しい知識を深めることができた。6月末に彼らが撤退し、この都市を1945年7月2日にロシア部隊が占領した後でもなお、ソ連軍当局が評価に使うための充分なマテリアルが存在した。

 対低空航空機防御のためのさらなる兵器がHand Fohn(頑住吉注:「o」はウムラウト。「ハンドフェーン」)だった。この兵器の場合3本のバレルが1本の束に結束されていた。7.3cmロケット炸裂グレネード4609が発射されたが、これは35連発対空ロケットランチャーFohn器具用に開発されたものだった。1944年末、Fohnランチャー50基と多くのグレネードのストックが存在した。ロケット炸裂グレネードの重量は3200gであり、300gの炸薬を受け入れ、射程は4500mまでで最高速度は360m/sに達した。実用射程は800〜1200mとされた。長さ330mmの自転により安定させられる弾丸のメーカーはSchneider A.-G.社だった。このプロジェクトももはや終了しなかった。

 ドイツサイドでは部隊で使用できる対低空航空機防御のためのワンマン兵器を作るかなりの努力が最後まで行われた。これに際しロケット推進装置の使用は成功を期待させる選択肢と判明した。一連の未解決問題(これには小さすぎる速度、大きすぎる散布、不充分な破壊効果が含まれた)がこの研究の成功裏の終了を妨げた。しかし戦後における開発に道を指し示した。


 あまり知られていない兵器であるフリーゲルファウストについての貴重な情報がたくさん含まれていて非常に興味深い内容でした。「DWJ」の記事と矛盾する内容も散見されますが、これは止むを得ないことでしょう。

 無誘導のロケット弾には命中精度が低いという欠点が常につきまといますが、この兵器でもそれが最後まで解決し難かったということです。弾道の15〜20%の散布ということは要求された効果的射程500mでは9発のロケット弾は75mから100mに拡散するわけで、正面を向けてこちらに突っ込んでくる敵機が狭い面積しか見せていないことを考えればよく狙っても命中可能性が非常に低いことが容易に想像できます。こうした問題を無誘導のロケット弾で抜本的に解決するのは無理であり、こうした理由から戦後もこのタイプの兵器はものにならなかったわけでしょう。

 私は「DWJ」の記事を読んだとき発射が2段階に分かれているのは命中可能性を高めるためと解釈しましたが、実際には同時発射ではバレルが大きく振動しすぎるためだったようです。射手に感じられない程度の0.2秒の遅延でも、その間に320km/hの敵機は約18mも移動するわけで、元々大きい散布とも合わせてむしろ命中可能性は低下したと考えられます。

 それでも命中しさえすれば低速とはいえ炸薬の爆発によって敵機に60cmから1mの大穴が開き、撃墜可能性は充分あったと思われます。ただしパンツァーシュレックに使用するフリーゲルシュレック弾薬が期待通りの効果を表せばそちらの方が明らかに汎用性が高いわけで、戦争が長引いてもフリーゲルファウストが最優先で量産され続けたかどうかは分かりません。ごく少数が実戦使用された可能性が高いようですが、大きな、目立った効果を見せれば連合軍パイロットが証言しているはずで、それが見つからないということはほとんど戦果はなかったと見て間違いないでしょう。









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