1.16 よりコンパクトな構造方式の初期セルフローディングピストル

 1898年、A.W.Schwarzloseによって、その構造がモダンであるおそらく最初のセルフローディングピストルがマーケットにもたらされた(図1-61を見よ 頑住吉注:この銃に関してはこのページが詳しいです http://guns.connect.fi/gow/QA17.html )。つまりこの構造の特徴は、手に対して比較的低く位置したバレル、グリップ内に収められたボックスマガジン、そして閉鎖機構の構造であり、この特徴はこの銃を後方にわずかにしか延長せず、これ(頑住吉注:ボーチャードのように後方に閉鎖機構の一部が大きく突き出している形でもなく、またモーゼルミリタリーに代表される「過渡期のセルフローディングピストル」の形とも異なる、おおまかなピストルの全体シルエット)は今日まで変わらずにいる。このシュワルツローゼピストルは全長27cmにおいて長さ15cmのバレルを持ち、重量は約670gだった。この銃は、その寸法が7.63mmモーゼルと等しく、そしてこれによりボーチャード弾薬とも等しいが、発射薬はモーゼル弾薬より少ないという弾薬用に作られている。そのボルトはボルトカムによってロックされている。このボルトカムは45度の回転によって対応するノッチをグリップする。このノッチはバレルエクステンションのチャンバーより後方に削り加工されている。反動が生じた際、ボルトとバレルは12mm一緒に後方に大きく走る。その際ボルトは「あやつるカーブ」上でロックが解除されるまで回転させられる。バレルの後退運動が終了した後、ボルトはその運動を単独で続行できるようになる。ボルトはストッパー位置で逆戻りし、マガジンから1発の弾薬をチャンバーに導き、再び45度の回転によってロックされる。この銃はドイツでは挙げるに値する成功を収めなかった一方、Standartの名の下にロシアに多数が輸出された。

 上(頑住吉注:「1.14 初期段階におけるセルフローディングピストルの発達」)で言及したボーチャードピストルの設計上の権利は1897年にKarlsruheに所在するeutschen affen- und unitionsfabriken(DWM 頑住吉注:「ドイツの銃器および弾薬工場」)に移った。そこではすぐに、ボーチャードが膝関節閉鎖機構の可能性を充分に利用していなかったことが理解された。そしてその結果DWMに雇用されていた技師Georg Lugerによって、ボーチャードピストルの改良を研究する任務が引き受けられた。その後の1898年、ルガーはこの膝関節閉鎖機構に、我々にドイツのアーミーピストル モデル1908(パラベラム)として知られている構造を与えた。

 図1-62にはボーチャード(a)とルガー(b)の膝関節閉鎖機構の原理が見られる。両方の構造においてバレルはケース(頑住吉注:バレルエクステンション)に固定されている。ボルト(1)はその中でバレルと平行に押し動かせるように配置されており、そしてこのケース内には、後の膝レバー(3)の軸(両図においてそれぞれ左から3つ目の軸 頑住吉注:赤い軸)が通っている。射撃の際、まずボルト(1)が動き、前の膝レバー(2)と後ろの膝レバーは一緒に後方に動く。ボーチャードピストルではその後、後ろの膝レバー端部に位置するローラー(4)が銃のグリップフレームに固定されている「あやつるカーブ」(5)に当たる。この結果膝関節は上方に折れ曲がり、ボルトが開く。この構造の場合、このロック解除要素の配置方法がグリップ後方の大きなオーバーハングの原因となっている。ルガーは2番目の膝レバーの延長部を省き、「あやつるカーブ」(6)を、「乗り上げカム」(7)を備えた膝関節の直後に移した。反動が生じた際、このカムは「あやつるカーブ」に当たり、これにより膝関節は上に持ち上げられ、ボルトはロック解除される。

膝関節閉鎖機構

図1-62 ボーチャード(a)とルガー(b)の膝関節閉鎖機構の原理。 (1)=包底面を持つボルト (2)=前の膝レバー (3)=後の膝レバー (4)乗り上げローラー (5)(6)=乗り上げカーブ (7)=乗り上げカム (頑住吉注:ここを見ている方には説明不要でしょうが、まず(b)のルガーのシステムを見てください。発射時ボルトは後方に押され、当然これと連結された前後の「膝レバー」も後方に押されますが、軸の位置関係から7の位置にある「膝関節」はむしろ下方向に折れ曲がろうとし、このままではボルトは開放されません。バレルとボルトが一体のまま少し後退すると7の「乗り上げカム」、いわゆるトグルが6の斜面に乗り上げることによって少し持ち上げられ、これにより「膝関節」は上に折れ曲がることが出来るようになり、ボルトが後退して排莢するわけです。(a)のボーチャードのシステムも原理的にはほとんど同じですが、後の「膝レバー」の軸の後方にローラーがあり、さらにその後方に「乗り上げカーブ」があるので、当然システム全体が前後に長くなり、グリップ後方に大きくオーバーハングして突き出す形になっていたわけです。余談ですがMGCのルガーはショートリコイルしないため、軸の位置関係がアレンジされ、後方への力が加わると容易に関節が上に折れ曲がるようになっていました。)

 1898年、このピストルの最初の実験モデルが作られ、この銃はDWMによって1901年まで「ボーチャード ルガー ピストル」、そして後には「パラベラムピストル」と呼称された。スイスはこのピストルを新たな制式銃を導入することを意図した研究に際して考慮に入れた最初の国である。このテストはDWMに好都合に推移し、そして1899年スイス連邦評議会はボーチャード ルガーの「Ordonnanzpistole 1900」としての導入を決定した。この最初のパラベラムピストルは7.65mmパラベラム弾薬を使用し、長さ120mmの銃身を持ち、重量は840gだった。図1-63は長さ100mmのバレルしか持たず、より大きい9mmパラベラム口径を持つことを除き、Ordonnanzpistole 1900と外観上ほとんど完全に等しいパラベラムピストルを示している(頑住吉注:ルガーの外観は周知でしょうから省略しますが、ここで挙げられている写真は1973年頃製造されたモーゼル製復刻品のもので、このモデルにはグリップセーフティが付属しています)。

 1901年および1902年、DWMによって9mm弾薬および対応するボーチャード ルガー ピストルを使ったテストが企てられた。その結果がずばぬけて最も成功したモダンピストル弾薬である9mmパラベラムだった。その後の1904年、「Pistole, Marine Modell 1904, System Borchardt-Luger」が皇帝の海軍内の帝国海軍局によって制式銃として採用された(銃身長150mm、口径9mmパラベラム、グリップセーフティなし、ただし100mおよび200m用サイトつき)。それまでは1本の板バネが閉鎖スプリングとして役立っていたが、これは1906年にコイルスプリングに交換された(これは1900年以後における唯一の大きな構造上の変更だった)。ドイツ陸軍の制式ピストルとしての採用(1908年)以後、パラベラムピストルはP08あるいは単に08として有名になった。このP08は100mmの銃身長を持ち、9mmパラベラム弾薬を発射し、グリップセーフティは持たなかった。1918年の第一次大戦終戦まで、約1,800,000挺、1934〜1945年には1,000,000挺の08ピストルがドイツ陸軍用に製造された。この銃の名声はどういった特徴のおかげだろうか? この銃の誕生当時、この銃は間違いなく開発品の頂点に立っていた。このパラベラムピストル、特に9mm口径仕様は小さな銃器重量で著しい弾道学的成績を提供した。非常に良質のスチールから精度良く製造され、仕上げられ、成功したフォルムを持ち、卓越した射撃精度とグリッピングを持つことから、この銃はシューターや銃器コレクターの尊敬を得るための多くの条件を満たしていた。だが、銃器技術の進歩はこのパラベラムピストルを1930年頃以後旧式化させたと見られる。このことは最終的に、1938年における「Walther Heerespistole」(頑住吉注:「ワルサー陸軍ピストル」。P38の採用前の名称)のナチ・ドイツ軍制式兵器としての採用を導いた。


 ドイツ人には周知のことなので触れられていませんがシュワルツローゼはドイツ人(プロシア人)です。ボーチャードもルガーもドイツ人であり、この項目には「現代ピストルの源流を作ったのはドイツ人である」という誇らしげなトーンが感じられます。

 ここで示されているシュワルツローゼピストルは後に作られたベストポケットピストルとは違ってブローフォワードではありません。ボルトの先端にロッキングラグ、チャンバー後方にリセスがある、まるで現代の自動小銃のような閉鎖方法ですが、ヘッドのみでなくボルト全体が回転してロック、ロック解除が行われます。閉鎖状態ではボルトはバレルとかみ合っていて単独では後退できず、この状態のまま反動によってバレルが少し後退するとボルトはフレームに固定されたカムによって回転させられ、ロック解除されるわけです。現代の目から見ると細部の処理が非常にエキセントリックに見えますが、根本原理としては我々の良く知っているショートリコイルと変わりません。またオートマグのシステムとよく似ているとも言えるでしょう。

 








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