64式消音サブマシンガン

 中国の特殊火器関連です。

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中越戦争:64式消音サブマシンガン ベトナムの戦場の死神

1979年の対ベトナム自衛反撃戦の、国境防衛作戦の期間、解放軍歩兵分隊の武器は56式銃器をメインとし、具体的に言えば一個歩兵分隊には56式サブマシンガン(頑住吉注:AK47コピー)3挺、56式半自動小銃(頑住吉注:SKSコピー)4挺が配備され、強化分隊には40mmロケットランチャー1門が配された。我が軍に比べ、ベトナム軍は分隊火力の上でわずかに優勢を占め、一個ベトナム歩兵分隊はAK47自動小銃あるいは56式サブマシンガン6挺、ソ連式あるいはアメリカ式あるいは56式分隊用軽機関銃1挺を配備し、一部の部隊はアメリカ式M79グレネードランチャー1挺を配備し、基本的に全て40mmロケットランチャーを配備していた。

56式銃器の他、我が軍にはさらに1979年のベトナムの戦場に登場したことのある、かつ「無音の死神」の名を持つものがあった。これこそ64式消音サブマシンガンである。この消音サブマシンガンは、我が国が自主研究開発した初の消音サブマシンガンで、7.62mm口径を採用していたが、弾薬は特殊設計を経ており、「三微」の特徴を持ち、すなわち微音、微光、微烟である。この銃は偵察武器として設計され、研究開発成功後、かつて1978年全国科学大会賞を獲得した(頑住吉注:つーかまあ当時はたいした科学的成果はなかったんでしょうな)。

1979年の戦前、我が軍の偵察兵は中越国境地域の敵軍の状況に対し広範な偵察を行い、国境を出ての偵察作戦の期間、偵察兵はこの銃を使用した。その射撃時の音が非常に小さいため(音は84デシベル未満)、偵察兵に喜ばれた。

対ベトナム自衛反撃戦勃発後、41軍はかつて偵察大隊を組織して敵後方に向け浸透し、ここでも64式消音サブマシンガンが配備された。

2月16日、41軍の121師団、123師団の偵察兵は偵察兵大隊を組成し、123師団副師団長の李徳元自ら大隊長の任にあたり、師団の偵察中隊は偵察第1中隊を組成し、兵力は約140人あまりだった。367連隊、369連隊偵察小隊は2個中隊を編制し、兵力は約90人あまりだった。別に60mm迫撃砲、40mmロケットランチャー、工兵、科学防護兵それぞれ1個分隊、15ワット発電機1台が配属され、兵力総数は約230人だった。

2月16日夜7時、偵察大隊先頭の第1中隊第2小隊は、副連隊長の劉顕祖によって率いられ、119号境界碑から国境を出て通天嶺国境線を通過し、秘密裏にベトナムの縦深に向け浸透した。ベトナム軍の防衛線を通過する時、第2小隊が用いた時間は5分間に満たず、すぐにベトナム軍の2つの国境歩哨所を探り出して殲滅し、使用したのはまさに劉顕祖と第2小隊長の手中の消音サブマシンガンだった。当時、尖兵小隊には全部で33人いたが、劉顕祖と第2小隊長の手中の2挺の消音サブマシンガンしかなく、その他は全て56式サブマシンガンを用いた。

行進の途中、尖兵小隊の隊伍の中に3名のベトナム軍パトロール兵が混じってきた。実は尖兵小隊は全てベトナム人民軍に変装しており(頑住吉注:当然ルール違反ですね)、この3名のベトナム軍は偵察小隊を味方と思ったのである。劉顕祖は皆に停止減進を指示し、かつ「殺せ」のゼスチャーをした。3人は後方の足音が停止するのを聞き、、振り返って一体何か見ようとしてすぐ、結果として2挺の消音サブマシンガンが同時に発砲し、3人は直ちに路上に倒れた。このように、偵察尖兵秘密浸透の初期、消音サブマシンガンを利用して音も気配もなくベトナム軍の生命を奪ったのである。

実際には1984年の老山作戦の期間になっても、我が軍の偵察兵は依然この銃を使用していた。

1984年9月12日、老山戦区で、解放軍偵察分隊はベトナム軍の占領した844高地に浸透し、山裾に隠れて命令を待った。当日の夜、天候は雷雨で、偵察分隊は不良な天候の援護の下、秘密裏にベトナム軍歩哨所に接近し、歩哨所内にベトナム守備軍一個分隊前後の兵力がいることを知り、隊はこのポイントを攻撃し援軍も打撃することを決心した。即突然に進攻を発起し、ベトナム軍歩哨所の敵を殲滅するのと同時に、路上に地雷を敷設し、ベトナム軍の援軍を殺傷しようとした。

9月13日早朝5時頃、偵察分隊は突然に進攻を発起し、64式消音サブマシンガンを用いてベトナム軍4人を射殺、1人を負傷させ、1人は我が偵察兵によってナイフを用いて刺殺された。2人は逃走したが、歩哨所外に潜伏する我が偵察兵によって射殺された。全襲撃行動に用いた時間はたった1分あまりだった。我が偵察兵分隊が安全に撤退した後、ベトナム軍はやっと歩哨所が襲撃に遭ったのを発見し、2個小隊を出動させて追撃したが、結果として我が方の敷設した地雷によって多くの人が負傷し、もはやあえて追撃しなかった。

全特殊作戦行動で、全部でベトナム軍13人を殺し、我が軍には1人の死傷者もなかった。ベトナム軍は無線電信の中で慌てて上に向け報告し、中国軍の「無音の襲撃 」に遭ったと称した。

64式消音サブマシンガンは対ベトナム作戦の中で死神のように無音でベトナム軍の生命を奪ったが、それ自体の設計上欠陥が存在した。1つは銃が長すぎ、重量が過大だったこと。2つ目は発射に専用の弾薬を必要としたこと。3つ目は射撃精度が低く、維持メンテナンスの要求が高かったことだった。後にこれを基礎に研究開発された85式消音サブマシンガンではこうした欠陥は全て改良されていた。


 以前より詳しい記事を紹介したこともありますし、

http://firearmsworld.net/china/smg/64/64.htm

 こんなページもあります。しかし中国の記事は戦闘に関する記述が生々しいですな。













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