陸軍時代南部麒次郎氏の部下だった稲垣岩吉氏は、引退後東京都杉並区に小さな銃器工場を構え、猟銃、空気銃など民間用の銃器を生産していた。稲垣氏は戦争の激化にともなって民間用銃器の生産が不可能になるとともに軍からも要求された、つまり浜田文次氏と同じ経緯で将校の自衛用中型オートピストルの生産を始めた。稲垣式拳銃はこの目的に当時標準的だった.32ACPを使用する、外観上はオーソドックスなブローニング系のように見えるピストルだが、構造的には大きく異なっている。生産数は500挺以下で、陸軍でも使用されたが多くは海軍の航空機搭乗員に支給されたと推測されている。現存する実物がきわめて少数なのは、海軍航空機搭乗員の戦死率が高く、またその場合身につけた拳銃も回収不能となる場合が多かったからだろう。
製品はスプリングのテンションのみを使った擬似ブローバックモデルで、可動モデルとしては初の製品化となる。単発のみブローバックのような動きをするほか、セーフティが実銃通り機能し、マガジンが着脱でき、実銃通りのフィールドストリップが行える。
当時の価格 完成品:21,000円 キット11,000円
(マルシン製PPK/S用プラグファイアーカートリッジ1個付属、オリジナルカートおよび実物ダミーカートは付属せず)
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実銃について
製作記