日野式拳銃

 日本初の飛行士としても知られる日野熊蔵が1904年に開発した全く独自の自動拳銃が日野式拳銃だ。同時期のブローニング初期モデル、ルガー、モーゼルミリタリーなどに比べれば明らかに劣っており、今日の目から見れば欠点が多い。だが当時は純国産の自動拳銃を開発していた国自体少なく、まだどういうものがいいのかはっきりしていない試行錯誤期だったことを忘れてはならない。結果的に軍に採用されず(ちなみに同時期の南部式も陸軍には採用されていない)、商業的成功も得られず、今日の銃に残した影響もほとんどないが、この時点でオリジナルの自動拳銃を量産したチャレンジ精神は高く評価するべきだろう。生産は1912年まで続き、正確な生産数は不明だが500挺以下と推測されている。
 作動はきわめて珍しいブローフォワード、オープンバレルファイアだった。またこの銃はおそらく銃器発達史上最も左右対称に近い銃のひとつではないかと考えられる。多くは.32ACPを使用したが、8mmナンブを使用するものもごく少数現存しているし、他の弾薬仕様もあった可能性がある。
 製品は内部構造はオリジナルだが、「バレルが前進位置でトリガーによってホールドされているところから作動がスタートする」「トリガーを引くとかみ合いが外れ、バレルがリコイルスプリング(バレルに巻かれたコイル)の力で後退する」「後退しきったバレルが後方にぶつかると反転して前進を開始する」「前進開始直後に排莢する」「バレルが前進しきって停止する」という実銃とほとんど同じアクションが楽しめる。グリップセーフティ、マガジンキャッチの機能も実銃どおりだ。ただしマガジンは短距離しか引き出せない。外観は基本的に「日本帝国の拳銃  再考」(「Japanese Military Cartridge Handguns 1893−1945」)に掲載されているシリアルナンバー156を再現した。
 製品には実物型取りの.32ACP薬莢を3個付属している。

当時の価格 完成品:19,000円  キット9,000円

より詳しい説明

実銃について(その1 資料編)

実銃について(その2 本編)

製作記